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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

室町幕府奉行人連署奉書の解説3−竪紙奉書

引き続きニ−49号文書です。

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ニ函/49/:室町幕府奉行人連署奉書|文書詳細|東寺百合文書

一応釈文をつけておきます。

東寺領若狭国太良庄造

外宮役夫工米事先々免除

上者可被止催促之由所被仰

下也仍執達如件

 永享二年閏十一月十日 肥前守(花押)

            加賀守(花押)

            掃部頭(花押)

  守護代

これが読みにくいのには理由があります。句読点がなく、 切れ目もないからです。そこで読みやすく変えます。

東寺領若狭国太良庄、造外宮役夫工米事、

先々免除上者、可被止催促之由、

被仰下也。仍執達如件。

どうでしょう。だいぶ読みやすくなったのではないでしょうか。

 

一行目。「東寺領若狭国の太良庄の造外宮役夫工米の事」

返り点がいらないので、「造〇〇××事」というのがわかれば分かります。「造〇〇××」というのは「〇〇」を作るための「××」という負担のことです。この場合「造外宮」とあることから伊勢神宮の外宮の造営のための「役夫工米」(やくぶたくまい、やくぶくまい)のことが話題でであることがわかります。話題を提示する「△△事」という部分を「事書」(ことがき)といいます。

 

二行目。返り点が必要です。「可」と「被」は助動詞です。日本語と異なり、漢文の場合は助動詞は前に出ます。さらにその配列も日本語とは逆になります。つまり「可→被」となっている場合は、日本語では「被→可」となります。もう一つ、日本語はSOV型、つまり「主語→目的語→述語」となりますが、漢文は英語と同じSVO型なので、OとVが逆転します。つまり「止催促」は「催促を止め」となります。そこに助動詞をつけていきます。「被」は「る・らる」です。受け身・尊敬・婉曲です。これは尊敬です。「催促を止めらる」となります。最後に「可」をつけます。意思・当然・命令を表す助動詞で、「べし」と読みます。この場合は後ろの「仰下」を考えれば、命令の意味にとるのが正しいと思います。

二行目の訓読。「先々免除の上は、催促を止めらるべきのよし」

「者」は格助詞の「は」です。

 

三行目。「被」が付いています。もちろん尊敬です。「仰せ下され候なり。よって執達件の如し」となります。

 

まず東寺領若狭国太良庄について。太良庄は現在の小浜市のJR東小浜付近にあった東寺領荘園です。鎌倉時代から室町時代中期まで存続した荘園で、「東寺百合文書」に関連文書が多く残存することから有名な荘園です。

 

「造外宮役夫工米」は式年遷宮に伴う費用を捻出するための臨時の課税です。伊勢神宮の権威をバックにかなり厳しい取り立てが行われたようで、その免除をもらうと、それがなくなるので、朝廷や幕府に必死に嘆願したようです。室町時代には役夫工米の免除の決定権も幕府に移っていたことがこの文書からもうかがえます。

 

一行目の翻訳です。「東寺領若狭国太良庄の造外宮役夫工米の事」

ほとんど変わりません。事書は大体こうなります。

 

二行目の翻訳。「以前から免除されている以上は、催促を止められるべきということを」

 

三行目の翻訳「仰せ下されました。よって以上のように伝える。」

 

肥前守は飯尾為種、加賀守は斎藤基貞、掃部頭は摂津満親です。このうち一番偉いのはだれかといえば、摂津満親です。順番は日付の下(日下、にっか)が一番偉くない人が署名するところです。

 

摂津満親(せっつ・みつちか)は鎌倉幕府創業に功績のあった中原親能の子孫。室町幕府では摂津氏を称し、評定衆などを務めていました。本来は奉行人よりも一つ上のランクで、この文書が重要であるがゆえに彼が判を書いているのです。

 

飯尾為種(いのお・ためたね)(ほかに「いいのお」、「いいお」と読む説あり)は同じく鎌倉幕府創業の功臣の三善康信の子孫。室町幕府評定衆や奉行人を務めています。為種は中でも活躍が目覚ましい人物です。

 

斎藤基貞(さいとう・もとさだ)は芥川龍之介の「芋粥」で有名な藤原利仁の子孫。斎藤氏は六波羅探題の奉行人を務めており、『太平記』では斎藤利行が正中の変で出てきます。

 

守護代はもちろん若狭国守護の一色義貫の守護代です。当時は三方範忠が務めていました。この辺の研究は河村昭一先生が行なっておられます。河村昭一「室町期の若狭守護代三方氏の研究」『兵庫教育大学研究紀要』10号(1991年1月)pp19~33

http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/986/1/AN100660790100023.pdf