御内書
前回までしばらく連署奉書をやってました。今日は御判御教書(ごはんのみぎょうしょ)と並ぶ代表的な室町殿が発給する直状(じきじょう)形式の文書である御内書(ごないしょ)について見ていきます。
御内書は室町幕府の後期になってくると急増する文書で、大河ドラマでも足利義昭なぞが「御内書を武器に云々(うんぬん)」と出てきます。また琉球向けの書状もしばしば御内書と混用され、それを根拠に室町幕府は琉球を同種同文意識をもっていた、という謬説を展開する人もいます。十数年ほど前までは研究者すらそう言っていたので、そういう謬説を展開する歴史愛好者がいるのはやむを得ません。しかし明らかに過ちであることは間違いがないので、その点は留意いただきたいと思います。事実は逆で、室町幕府はことさらに外国として琉球を扱っていました。近代国家ではこれを外国とみなすと不都合が起こるのですが、前近代では琉球を同じ日本扱いするよりも、外国からの臣従使節とした方が室町殿の卓越性を国内に見せつけることができるからです。
それでは御内書の現物を見てみましょう。今回は国立公文書館所蔵『朽木家古文書』です。
とりあえず翻刻をしておきましょう。
爰本之儀、連々粉骨
尤神妙弥抽忠節
者肝要候仍料所近
江首頭之事申付也
七月十六日 (花押)
佐々木民部少輔とのへ
形式を見ておきます。御内書は御判御教書と比べると年号が書かれていないことが目につきます。これなど、近江国首頭荘の代官を申し付けているのですから、権利関係の文書になり、年号を付けた御判御教書として出すべきだと思うのですが、大人の事情があるのでしょう。
書状と比べた場合、書止文言(かきとめもんごん=本文の最後)が「也」と素っ気ないのが御内書です。他に「〇〇也。状如件」というパターンもあります。書状ならば「謹言」「恐々謹言」「敬白」などの文言が入りますが、御内書は上から目線で「也」と言い切ります。
広義の意味では室町殿の書状も「御内書」として扱いますが、ここでは狭義の意味での御内書を扱います。
読み下しをつけておきます。
爰本の儀、連々粉骨尤も神妙。いよいよ忠節を抽んずれば肝要に候。仍料所近江国首頭の事、申し付け候なり。
差出は足利義晴、宛先は朽木稙綱、年代は享禄二(1529)年です。
意味は以下の通りになります。
ここもと(朽木稙綱のこと)については、ずっと粉骨してきたことはたいへん神妙である。いよいよ忠節をつくしたので素晴らしいことである。よって料所の近江国首頭荘(すどのしょう、所在不明)の代官職の事を、申付けるものである。
何があったのかは次回。