後花園天皇の生涯−永享二年七月一日〜九月三十日
七月七日、乞巧奠
師郷記
二十五日、足利義教右大将拝賀、清涼殿に出御しこれを受ける
看聞日記、建内記、師郷記
ちなみにこの時の大名一騎打ちに一色義貫ではなく畠山持国を選んだことに義貫が怒って参列を拒否したために大騒ぎになって、厳罰を主張する義教を持国の父親である畠山満家がとりなした(満済准后日記八月四日条)
八月四日、北野祭、北野臨時祭は停止
師郷記
薩戒記目録
九日、釈奠
師郷記、続史愚抄
看聞日記、師郷記
十六日、駒牽
師郷記
十八日、大風雨、太政官庁の諸門転倒破損
二十二日、政始
薩戒記目録、師郷記、続史愚抄
二十五日、請印政、大嘗会斎場点地、荒見側祓あり
師郷記
三十日、大嘗会月次大祓
師郷記
九月三日、御灯停止
師郷記
師郷記
十日、止雨奉幣使発遣
師郷記
十一日、伊勢例幣
師郷記
十四日、御禊行幸日時、装束司次第司除目、留守定、あり。この日蔵人方行事所始
師郷記
二十四日、御禊行幸雑事始。まず日時を勘ず
師郷記
師郷記
三十日、大嘗会大祓
師郷記