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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

『新撰長禄寛正記』における後花園天皇

『新撰長禄寛正記』は名前の通り、長禄・寛正年間(1457〜1466)までの畠山氏の内紛などを中心に幕府の動きを記録した史料です。文明年間には成立していたと考えられていますが(群書解題)、後花園天皇を「御花苑院」と書いているところを見ると、後花園天皇崩御の文明二年よりは後であることがわかります。

 

そこで後花園天皇は寛正の飢饉による惨事をよそ目に室町邸造営にふける足利義政に対して漢詩を送って諌めた、という役割を与えられています。愚かな将軍と英邁な天皇という、ある意味非常に好まれる題材であると言えましょう。

 

該当部分を示します。

 

同年ノ春ノ比ヨリ天下大キニ飢饉シ又疾疫悉クハヤリ、世上三分二餓死ニ及。骸骨街ニ満テ道行人アハレヲモヨヲサズト云コトナシ。然ドモ時ノ将軍義政公ハ去ル長禄三年二月花ノ御所ヲ作リ、是ヲ御テウアイ有。山水草木ニ日々人民ヲツイヤシ、水石ヲ立ナラベ国ノ飢饉ヲアハレミ玉フ事ナク、アマツサヘ新殿ヲツクリ立ラル。其比ノ帝王〈御花苑院〉是ヲ聞召テ将軍ヘ一首ノ御製ヲ給。

 

残民争採首陽薇

処々閉序鎖竹扉

詩興吟酸春二月

満城紅緑為誰肥

 

将軍家是ヲ拝見有テ大ニ恥サセ給。新殿造営ヲ留玉ケリ。誠ニ君モ君タリ臣モ臣タリト世挙テ感悦シ奉ル。

この記事および後花園天皇の行動については議論が分かれています。

渡邊大門氏は「後世に成立した編纂物ですが、記事は比較的正確なものであり、後花園が義政を諌めたのは史実と考えてよいでしょう」(『戦国の貧乏天皇』柏書房、2012年、59ページ)としています。後花園天皇が義政を諌めたのは史実であり、高く評価できる、という立場です。それと関わって義政を「非難されても仕方がない」としています。これは渡邊氏に限らず、この問題に関する定説と言っていいでしょう。

 

藤木久志氏はその定説に対して次のように述べます。「あの将軍義政の悪政というのも、じつは飢饉さなかに雇用創出のため公共事業を起こし、手元に集めた巨富と強引に取り立てた巨額の税金を放出して、難民たちに働き口を与えた、大がかりな失対事業だった、ということになりそうです」(『飢餓と戦争の戦国を行く』朝日新聞社、二千一年、57ページ)。

 

東島誠氏は藤木説と通説に対して批判を加えています。東島氏は藤木説に対して、史料的裏付けがなく仮説にとどまること、藤木説で雇用創出の事例とされたものがいずれも民間の事例であり、公共事業ではないこと、義政の事業が他の公共物ではなく私のものであること、という難点を挙げ、一方で義政は一旦飢饉の救済事業を立ち上げた後、願阿弥の勧進活動に資金を提供したことについて「公権力の〈徳政〉よりも民間のネットワークに委ねるほうがはるかに効果的である、と判断したから」(『自由にしてケシカラン人々の世紀』講談社メチエ、2010年、106ページ)としています。そして「所詮は二次史料に過ぎない『新撰長禄寛正記』の語りを鵜呑みにして、義政の悪政を指弾する類の議論には、藤木ならずとも加担する気にはなれない」(同前)その上で東島氏は流入型の飢饉である寛正の飢饉における義政の政策について「なるほど義政は、決して施錠言われるような〈飢饉をかえりみぬ悪政〉を敷いたのではない、とする藤木の主張は受け容れよう。だがその政策は結果として飢饉の惨状を悪化させた。その〈善意〉こそが、叶わぬ夢を人びとにいだかせ京へと向かわせたのだとすれば、それは〈罪作りな善意〉だった、と言うほかはない」(『〈つながり〉の精神史』講談社現代新書、2012年、27ページ)としています。

 

ここに現れる後花園天皇の役割は愚かな将軍を諌める英邁な君主ですが、そのような後花園天皇像に疑問を呈したのが桜井英治氏です。「後花園天皇はなかなかの才人で反骨精神も旺盛であったが、衒いや自己顕示欲が強く、またどこか相手の弱みにつけこんでくるような意地悪さがあって私はどうにも好きになれない。長禄・寛正の飢饉のおり、後花園天皇漢詩をもって将軍義政の贅沢を諌めたエピソードは美談として長く語り継がれているが、かりにその諫言にあやまりがなかったとしても、それがはたして統治者としての高い意識に出たものかどうかは十分検討してみる必要がある」(『室町人の精神』講談社学術文庫、2009年、初出2001年、231ページ)としています。

 

私見を申し述べます。

1.『新撰長禄寛正記』の評価ですが、私は渡邊氏に乗っかって記事の正確性、後花園天皇の諫言を史実と考えます。原型が文明年間の早いうちであることを考慮すると、十分信頼に足る史料であると言えるでしょう。足利義政後花園天皇が嫌味をかましたのは事実であろうと思いますし、義政もそれが堪えた、というのも事実であろうと考えます。

2.足利義政の評価については東島氏に乗っかって、愚かな義政・英邁な後花園天皇という図式は相対化する必要があると思います。ただしこの件ではともかく、義政が政治家としては無能であった、という点は残念ながら揺るぎないとも思います。飢饉の件に限っても、義政の政策が結果的に飢饉の惨状を悪化させたことも認めざるを得ません。

3.後花園天皇の評価に関しては桜井氏の議論に一つだけのぞいて賛成します。私の見解でも後花園天皇が衒いが強く、自己顕示欲の強い、底意地の悪い人物であったことは間違いないと思います。私はそういう後花園天皇が好きです。ただリアルな上司だったら嫌かもしれません。一生懸命政府のシンクタンクに依頼して作った先例通りの起草案に原型をとどめないほど添削を加えられて、極めてペダンティックな意味のわかりにくい綸旨を欠かされたら「オー人事オー人事」と言いたくなるかもしれません。