卞孝文と畠山持国のやりとり秘録
実は先の史料は通信使卞孝文の国王世宗への報告です。卞にとって都合の悪いところはバッサリ切られています。36年後、随行員の一人であった李仁畦が世宗の孫の成宗の諮問に答えているシーンがあります。李の報告をもとに卞と畠山持国のやり取りを復元します。出典は『朝鮮成宗実録』十年二月丙申条です。
持国、北側に南向けに座っている。
(管堤(原文ママ)坐北面南)
卞「それ、ダメっすよ。我が国と日本は対等でしょうに。客が東で主人が西と決まっているんが例でしょうに。」
(使不可曰、吾与爾均敵、客東主西礼也)
持国「お前んとこの国は昔っから日本にへりくだって来てるのに、なんでお前はそんなに偉そうなんだ。」
(爾国自古来朝、爾何独不然)
持国、そばにあった書物を取り出して卞に示す。
(即取一編書示之)
「高麗が来朝した。新羅が来朝した」
(書曰、高麗来朝、新羅来朝)
持国「南に座ることを承知せず、西に座りやがって」
(汝不肯坐南、当序於西)
卞「我が国は昔から対等に仲良くやって来てるんだ。今もわざわざ使節を派遣してんだよ。なんでそんなに偉そうにできるんだ、ってこちらのセリフじゃ!やってられんわ!!」
(我国重交鄰、遠遣使臣、爾敢倨傲、吾不可即席)
卞、席を蹴って出て行こうとする。
(出欲)
持国、東に座りなおす
(乃令坐於東)
持国がかなり傲慢なのはわかります。ただ持国は卞の抗議を受けてあっさり引き下がっているのも目につきます。
卞がこれを世宗に報告しなかったのも分かります。持国が傲慢な姿勢を取り、卞がたしなめる、という構図が卞の株をあげる、というのは我々の先入観です。そもそも持国が一時的であれ、こんな無茶なことを放言したことは、日本の恥、というよりはそれを許した卞の責任であるとされることを恐れたかもしれません。お互いに敬意を持ちあって外交が進むのが両者にとってウィンウィンの関係なのであって、外交における非常識な対応は、両国の関係者にとって望ましくないものなのでした。