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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

貞常親王宣下をめぐるトラブル

文安二年、ちょっとしたトラブルが起こります。後花園天皇の弟の伏見宮家の貞常親王親王宣下を巡ってです。以下『師郷記』から。ちなみに『後花園天皇実録』ではこの話は載せられていません。天皇家のトラブルを載せるのは戦前ではまずかったのでしょう。

師郷記

文安二年三月十六日条

十六日、晴、今日伏見殿宮御方御元服也。(中略)後聞、翌日可有親王宣下之処、禁裏竹園之間不思議荒説出来、仍不及其儀、近日毎時如此。

(今日、伏見宮家の皇子が元服である。(中略)のちに聞いたところでは、翌日に親王宣下があるはずのところ、天皇と宮家の間で不思議なデマが流され、中止になった、ということだ。最近はずっとこの調子だ。)

 

五月

廿日、今日、自伏見殿御訴訟事、以万里小路大納言・中御門中納言被聞食云々。両卿参伏見殿承事由、参禁裏令奏聞云々、是三月宮御方御元服之時、有荒説。後可被糺明之由也。日野中納言・伯二位等申出之云々。

(今日、伏見宮貞成親王より訴えがあり、万里小路時房と松木宗継を遣わして事情聴取が行われた、ということである。両人が伏見殿に参って事情を聞いたところを禁裏に報告した、ということだ。この三月、貞常王が元服の時にデマが流された。あとで糾明するとのことである。広橋兼郷と白川資益がそのデマを申した、ということである。)

六月

五日、資明朝臣秘任伯宣旨到来了。於父二位者洛中居住不可叶云々。

(資明朝臣神祇伯に任命するとの宣旨が到来した。父の二位は洛中に住んではならないということである。)

 

六日、今日日野中納言〈兼郷卿〉管領宿所に被召置。去三月伏見殿宮御方御元服之時、雑説一向彼卿所為云々。仍重々被経御沙汰、可被処流罪之由治定云々。

(今日、広橋兼郷が管領細川勝元宿所に拘留された。三月に貞常王が元服の時に流れたデマは彼のせいである、ということである。そこで慎重に検討した結果、流罪に処せられることになった。)

 

十七日、日野中納言今日被出管領宿所、雖可被流罪、自武家大方殿、頻可有寛宥之由被執進之間、被止流罪了。但洛中居住不可叶之由仰之了。

(広橋兼郷が今日細川勝元宿所を出た。流罪になるはずのところ、足利義教の妻の日野重子からしきりに許してやってほしいという要請があったので、流罪を取りやめた。しかし洛中に居住するのは不可能である、という仰せである。)

 

廿七日、親王宣下也(以下略)

 (親王宣下

 なかなか剣呑な出来事です。貞常王を親王とすることは、すなわち貞成親王への太上天皇号宣下を目指す運動の一環なのですが、その過程で反発が出た、ということです。兼郷は後小松院の側近であり、後小松院はその遺言で「貞成親王太上天皇号を宣下するな」「後光厳院流は絶やすな」と言っていたのですが、貞成親王の激しい運動の中でそれがことごとく反故にされそうな中で、後花園天皇を抱き込んで反対運動を行おうとしたのでしょう。しかし後小松院の側近の中心人物で、日野家の嫡流日野有光・資親が禁闕の変に関わって処刑され、後小松院の遺言を守ろうという勢力は追い詰められて行きました。それの一環と考えられるでしょう。