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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

後花園天皇宸筆女房奉書

女房奉書について、少し見ていきたいと思います。

 

題名がそもそもおかしいですね。「奉書」なのに「宸筆」。つまり「奉書」とは主君の意を奉って祐筆が書く書状のはずです。天皇の意を奉じるのであれば「天皇様はこのように仰せである。そこで私が天皇様の意思を伝える」となります。

 

宸筆奉書となると、「天皇様、つまりこの私はこのように仰せである。したがって伝達者である私は、天皇である私の意思を承って伝える」となります。ちょっと何書いてんのかわかんないです・・・・・・!!

 

ちょっと何書いてんのかわかんないです……!!

ちょっと何書いてんのかわかんないです……!!

 

 

グダグダ言わずに本文を出しましょう。『大徳寺文書』一五四三文書です。

 

故つち御かとの中将ありみちの朝臣かいせきのしきちの事、むらさき野大とく寺のたつちう如意庵にきしんの事、きこしめし候ぬ、ことにかの中将かほたいのためとて候へハ、へちしてくはうの御きしんにしゆむし候て、なかくいらんわつらひなく、ち行をいたし候へと、つたへおほせられ候へく候と、申とて候、かしこ

 (礼紙切封ウハ書)「菅中納言とのへ」

 ちょっと何言ってんだかわかんないです。

子供の頃、漢字が極度に苦手だったんで、ひらがなばかりで文章を書けたらなんと素晴らしいことか、と夢想していました。その誤りを心の底より反省します。

 

漢字を混ぜると次のようになります。

故土御門の中将有通の朝臣が遺跡の敷地の事、紫野大徳寺塔頭如意庵に寄進の事、聞こしめし候ぬ。殊に彼の中将が菩提のためとて候へば、別して公方の御寄進に准じ候て、永く違乱煩いなく、知行を致し候へと、伝え仰せられ候べく候と、申すとて候、かしこ

 久我家庶流の土御門家はこの有通が宝徳四(一四五二)年四月二十八日、疱瘡によって二十一歳の若さで逝去したことで断絶します。その遺領の処分を行った女房奉書です。

 

現代語に直すとこんな感じです。

故土御門中将有通朝臣の遺跡の敷地の事、紫野大徳寺塔頭如意庵に寄進の事、お聞きになりました。特に彼の中将の菩提のためということですので、特別に公方のご寄進に准じて、永く違乱や煩いがないように知行をいたしなさい、と伝え仰せられるように、ということで申し上げます。かしこ 

 どう考えても後花園天皇の意を女房が奉じている文にしか見えません。しかし「宸筆」とある以上は、この文章を書いているのが後花園天皇本人であることも疑いようがありません。

 

後醍醐天皇にも宸筆綸旨というものがあります。綸旨も奉書形式ですから、宸筆綸旨というのも矛盾しています。後醍醐天皇は「左中将」という架空の人物をでっち上げて、そいつに自分の意を奉じさせています。

 

後花園天皇の女房奉書も、実際には女房が書いている風体をとっているので、架空の女房(名前なし)に自分の意を奉じさせる形になっています。だから実際にはそれほど「ちょっと何言ってんだかわかんないです」とはなりません。

 

自分の意思を最もダイレクトに出そうとすれば、宸筆で自分の意思を書いたらいいのですが、そこは天皇という地位の不便さ、それが許されていないのです。だから後花園天皇は架空の女房に意を奉じさせる、というアクロバッティックなことをやったんですね。