後花園天皇、綸旨を取り消される2
後花園天皇が綸旨を取り消される、という事件について取り上げています。
次にあげる「室町幕府奉行人連署奉書」であっさり取り消されています。
翻刻から。
神泉苑境内事、号荒野菅二位
在綱卿家雑掌猥被掠給綸旨云々、
於彼地近遍者、有子細而古今不成
其総大勧進長福寺被致警固之処、
此如物忩之儀太不可然、早止件競望
寺家弥可被専厳禁之由所被仰
下也、仍執達如件
長禄三年六月廿九日 下野守在判
散位在判
当寺住持
読み下し。
神泉苑境内の事、荒野と号し、菅二位在綱卿家の雑掌、猥に綸旨を掠め給わると云々。彼の地の近遍においては、子細有りて、古今ならず、其の総大勧進長福寺警固を致さるるのところ、此の如き物忩の儀、はなはだしかるべからず。早く件の競望を止め、寺家いよいよ厳禁を専らにすべきの由、仰せくださるなり、よって執達件の如し
「掠め給わる」というのは、虚偽を申告して綸旨など上位者の命令をゲットすることです。だから唐橋在綱の関係者が綸旨を不正な方法で手に入れた、という判決文です。一応綸旨を出した後花園天皇の名誉は守っているものの、ある意味面目丸潰れです。なんせ、天皇の権力が及ぶはずの神泉苑の土地の処分が自由にならなかったのですから。
長禄三年ということは、あの足利義政に諷諫する二年前です。これで恥をかかされた後花園天皇が腹いせに足利義政に諷諫を送った、と考えれば、ネタとしては面白いですが、まあネタです。
ただ、桜井英治氏は「かりにその諫言にあやまりがなかったとしても、それがはたして統治者としての高い意識に出たものかは十分検討してみる必要がある」(『室町人の精神』講談社学術文庫、p231、2009年)とおっしゃっていますが、足利義政が無為無策であったわけではないことは東島誠氏も『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社メチエ、pp105〜106、2010年)でおっしゃっているところであり、この両氏の意見を考えれば、少し考慮に値するかもしれません。
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まあ後花園天皇の諷諫については、後花園天皇をとことん考えてみる、という当ブログでは「素晴らしい天皇だったんだ」というところで思考停止するわけにはいきません。だから何かあるのか、と言われれば、今のところないです。