後花園天皇、やってしまいかける
永享十年のことです。
後花園天皇はそれに対して「御製」(天皇自作の和歌)を贈ります。
すゑとおき 八百万代の 春かけて 共にかざしの はなをみるかな
それに対して義教からは次の二首が返ってきました。
すゑとおき 君にひかれば 万代の 春まで花や ともにかざさむ
今夜しも 君がこと葉の 花をみて 袖にも身にも あまるうれしさ
それに対して後花園天皇から再び御製が返されます。
たぐひなき 君がこと葉の 花かづら かけていく世も かはらずぞみん
しかしここで後花園天皇はハタと気づきます。
「もしかして、天皇であるオレが臣下である義教に『君』なんて主君みたいな言い方してもいいものなのか?」
そこで父親の貞成親王のもとに御乳人を遣わして尋ねさせます。しかし御乳人もその生誕からずっと面倒を見ているとはいえ、こんな話まで付き合わされて大変です。
貞成親王は一日調査をしてから結論を出しています。やっぱりまずかったのです。「君」という言葉は天皇か上皇、でなければ恋人に使うもののようです。義教が後花園天皇の主君である、という意味か、義教が後花園天皇の思い人である、という意味にしかならない、ということになってしまいました。
後花園天皇は慌てて御製を差し替えます。
ことの葉の ふかきなさけの 花かづら かけていく世も かはらずもみん
これでことなきを得ました。しかし後花園天皇の中に足利義教を「君」という言葉で表したい(この場合は思い人ではなく、主君)ほどには彼の中に「室町殿によって存在している自分の天皇という地位」というのが内面化していたことが興味深いです。