「正統」について
北畠親房の主著「神皇正統記」をこのブログを読んでいらっしゃる方の多くはご存知だと思います。読みが「じんのうしょうとうき」であることもここで改めて書く必要もないとは思います。
この書名は「神皇」の「正統」を記すために南朝方の重鎮の北畠親房が書いたものです。この「正統」は「しょうとう」と読み、中世における天皇位の継承原理のことです。
「正統」観念について現状一番入手しやすく、またわかりやすくまとめられているのは河内祥輔『中世の天皇観』でしょう。
「正統」は以下のようにまとめられています。
第一に全ての天皇が一筋につながっているのではなく、幹と枝葉に分かれ、枝葉の天皇の系統は断ち切れており、幹は「一系」として続いていく。
第二に幹は血統であり、皇位ではない。幹の中に天皇ではない者が入り込んでいる点に明瞭である。
第三に幹と枝葉では価値が異なる。価値ある天皇と価値の乏しい天皇に分かれる。
第四に「正統」は男系である。女系天皇は全て枝葉である。
字面だけではわかりにくいので図にしてみました。戦国時代から現在の天皇家を「正統」に合わせて引き直しました。
正親町天皇から今上天皇まで一本の幹が見えます。中御門天皇に始まる枝葉などが見えます。この幹が「正統」です。
この「正統」イメージは現在の皇位が光格天皇以降一系でつながっているため、我々の抱くイメージとそれほど齟齬がありません。現在我々が「正統」を意識しないのはそのためでしょう。
しかし江戸時代に天皇の後継者がいない、というアクシデントが起こった時には「正統」に基づく系図が大きく揺らぎます。
上が後桃園天皇崩御前の「正統」観念に基づく系図です。ところが後桃園天皇が後継者を残さないまま崩御し、中御門天皇の弟によって創設された閑院宮家から光格天皇を迎えるとそれまでの東山天皇ー中御門天皇ー桜町天皇ー桃園天皇ー後桃園天皇という幹が一瞬にして枝葉となってしまいます。
結構面倒臭いですね。現在の天皇家の系譜が「正統」観念に基づいて記述されていないのも宜なるかな、です。
ではどうしてこのような「正統」観念が出てきたのでしょうか。室町時代前半の天皇の歴史を理解する上で「正統」を理解することは必須要件だと考えます。しばらく「正統」について考えたいと思います。