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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

『看聞日記』における足利義教ディスについて4

永享九年十一月六日条です。そこでは「悪将軍」という表現が見えます。では前後関係を見てみましょう。

六日、晴、聞。室町殿祗候女中、東御方〈玉川殿御女〉小弁不調事露顕。両人可流罪云々。小弁者被糺問白状申。相国寺僧又行道等密通云々。仍彼等忽被勿首。又公方召仕遁世物も密通切首。小弁被懸護云々。其外猶申通輩共悉被罪科或切腹云々。猥雑言語道断事也。安野中将息女二条被切髪〈如喝食被切云々〉。是ハ行幸中事也。軈退出云々。上様御絶入も天狗所行也。御所中不思儀事繁多云々。千本殿比丘尼伊勢参宮下向。為狂気御所へ参。種々事共託宣。所詮悪将軍之由申云々。不可思儀事風聞。莫言莫言

 ここで文中に出てくる人物をチェックします。

 

まず「東御方」ですが、前の記事で出てきた、伏見宮栄仁親王の仕女で、伏見宮家女官の長老で、義教にいらんことを言って追放されたものの、引き続き伏見宮家に仕えていた人ではありません。

 

「玉川殿御女」とあるので、玉川宮家の女性です。玉川宮長慶天皇の子孫です。後南朝の一流ですが、義教の側室として入っていました。

 

そこに仕えていたと思しき「小弁」は「東御方」とともに相国寺僧と密通していたようです。相国寺僧は速攻首を刎ねられ、公方こと義教に仕える遁世者にも密通者がいて、同じく斬首、小弁はさすがに命は助けられたものの、そのほかの者はことごとく処刑されたようです。

 

さらに「安野中将」(阿野公為がちょうど左中将なので多分公為でしょう)の娘も髪を切り落とされます。この一連のことは後花園天皇行幸中に行われた、と書いてあります。後花園天皇行幸は先月の二十一日のことで、その時に髪を切り落とされ、追放されたのでしょう。

 

「上様」というのは正室の三条尹子です。尹子が「絶え入る」つまり気絶することがあり、天狗のせいになっています。義教へのストレスという可能性はないのでしょうか。

 

もっとも義教は尹子のいうことはずいぶん聞き入れたようで、尹子との夫婦仲はよかった、というか、義教がずいぶん尹子のことを気にかけている様子が少しほほえましいです。

 

ちなみに義教は「御乳人」(後花園天皇の乳母)にもずいぶん優しくて、明の使者が来日した時は夫婦で出迎えに行っていますが、御乳人にも声をかけています。

 

伊勢参宮に行った「千本殿比丘尼」が託宣として「悪将軍」と義教に言った、ということを貞成親王が書き留めているようです。

 

したがってこの一連の記述を見る限り、貞成親王がディスったわけではないが、義教に対する不満が世間に充満していたことも分かります。