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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン歴史講座第三回

無事終了いたしました。

 

動画も今回からアップされています。

長時間の再生と音声と私の見苦しい顔と声にご注意ください。

以下閲覧注意。

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今回は嘉吉の乱を取り上げましたが、むしろ嘉吉の乱に至る足利義教の動きを中心に、後花園天皇の綸旨の頻発についても取り上げました。

 

義教に関しては「万人恐怖」というようなイメージで捉えられ、「狂気」すら漂わせるようなイメージで語られてきましたが、そのような作られたイメージに疑義を出してみよう、というのが一つのテーマです。

 

かいつまんで言いますと、守護の家督介入ですが、守護家の力を削ぐため、自分に都合の良い人物を選んで家督を継がせた、とみられがちですが、斯波武衛家や京極家や山名家の家督介入はむしろ無用な混乱を避けた効果があるのではないか、と考えています。ただ畠山家や富樫家への家督介入のように将来にわたって禍根を残したケースは多々ありました。

 

公家への暴力ですが、これも見境なく行った、というよりは義満・義持期と力をつけてきた名家層への圧力という見方を紹介しました。近年では義教の政策を単なる暴力としてとらえる視点を相対化する試みがなされています。

 

後花園天皇の綸旨に関しては田村航先生の「揺れる後花園天皇」(『日本歴史』818号、2016年)で主張されている、幕府の権威を後花園天皇にカバーしてもらったのではなく、権威を確立できない後花園天皇のために綸旨を使った、という見方を紹介し、その論に従って説明していきました。

 

これからの展望ですが、私としては嘉吉の乱足利義教・赤松満祐・後花園天皇万里小路時房・細川持之山名持豊畠山持国といった人々の人生の交差点として把握してみたいと考えています。義教の将軍継承から始まって嘉吉の乱に至る政治過程を総合的に見る叙述をいつか完成させようと思っています。その帰着点は赤松満祐の切腹ではなく、むしろ禁闕の変と長禄の変に置かれるべきで、赤松次郎法師丸の擁立を以って区切りとなすべきと考えます。赤松次郎法師丸の擁立は、次の応仁の乱の一つの原因ともなるからです。私独自の叙述の視点として、その一連の流れを後花園天皇の視点から見ていきたいと思っています。

 

なお次回の応仁の乱ですが、今回と同じく応仁の乱をドストライクに見ていくのではなく、後花園天皇の視点を中心に見ていきたいと考えています。

 

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