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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン日本史講座第5回

おかげさまで無事第五回を終えることができました。今回は参加者が合計8名とかなりいい感じに増えてまいりました。

 

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Zoomを使ったオンライン講座のいいところとして、直接話すだけでなく、チャットに書き込んで意見を表明したり、質問したりすることができることがあります。顔出しするかしないか、直接話すか書き込むか、話を聞くだけにするか、いろいろ自分の立場を好きに選べます。

 

この講座の命綱は実は参加者の皆様の質問、討論にあると思っています。受講者の中から意見や質問が出てくる。そして話が思わぬ方向に転がっていく。これが一番やってて楽しいところで、自分の用意したものを淡々と処理していく、というのは実はあまりこちらとしては面白さが半減してしまう。

 

今のところこの試みはうまくいっていると思っています。今回も若い方からの有益な議論をいただけました。ありがとうございます。

 

さて、今回の話ですが、前期倭寇と後期倭寇の整理、1980年代の対外関係史の隆盛、海洋史観、海域アジア史という研究史の中での倭寇の位置付けということから始まって、様々な倭寇の実態についてお話をさせていただきました。

 

私見では「倭寇」というのは基本的にレッテルであって、自称しているヤツはいない、というところを強調したいと思っています。したがって「倭寇」の実態に入ると実に様々な人々が出てきます。

 

例えば李領氏の『倭寇と日麗関係史』で主張された倭寇=少弐氏というのは一面を捉えている、と私は考えています。

 

「庚寅以降の倭寇」というのは庚寅年、西暦1350年に「倭寇の侵、これより始まる」と書かれていることからその名前がついていますが、1370年代に入ると大規模化し、回数も増えていきます。この中心に少弐氏がいた、という議論です。1370年代に九州は征西将軍府が没落し、今川了俊も少弐冬資を暗殺したことで求心力を失っていた時期で、直冬党に属して腹背に敵を受けていた少弐頼澄が倭寇化して兵糧や人員を朝鮮半島に求めたとしても不思議ではありません。ちなみに倭寇による略奪の実態については質疑応答の中で出てきたもので、それがなければそのままスルーするところでした。参加者の質疑から新たな展開に話が進むところは、オンライン講座の醍醐味であると思います。普通の講座と違ってこのオンライン講座ではしばしば質問タイムが挟まります。時間の制約のないオンラインならではの長所です。

 

少弐氏はかなり長い間倭寇と関係を持ち続けています。もちろん彼らが自らを「倭寇」と位置付けているわけではありません。ただ室町幕府に「高麗盗人」の統制を要求した朝鮮王朝の使節はもちろん「倭寇」の禁圧を要求しているのでしょう。つまり日本側の記録で「高麗盗人」とか「土一揆同心」とか「壱岐対馬者共」というのは、朝鮮側からすれば「倭寇」といってもいいようなものでしょう。

 

他には嘉吉の乱で逃亡した赤松則繁(満祐の末弟)による倭寇の話、大内教弘による対馬割譲と朝鮮王朝の薄い反応(対馬が朝鮮領になると少弐氏の倭寇化を心配しなければならない)、鉄砲伝来と倭寇の関係などについてお話をしました。

 

その過程で琉球王国の話に広がったのも、講師と受講者の間の距離の近いオンライン講座ならではの魅力でしょう。

 

次回は「日明貿易日本国王」という題で行います。また予告編を何回か、当ブログにて掲載します。お楽しみにお待ちください。

 

それではありがとうございました。

 

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