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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン日本史講座二月第二回「日明貿易と日本国王」に向けて

戦国IXAのメンテの終了予定時刻が22時間延びて暇です。

 

そういう時はオンライン日本史講座。

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次回の二月十四日は「日明貿易日本国王」です。

 

これを理解するためにはまずは海禁体制と貿易について理解しないといけません。

 

海禁体制とは「下海通蕃の禁」の短縮です。字のごとく海外渡航や外国との交易を禁止する、という意味です。明代に設定され、清にも引き継がれます。

 

近年では江戸幕府のいわゆる「鎖国」も「日本型海禁・華夷秩序」と再定義されています。「鎖国」と言いますと国を完全に閉ざしている、というイメージなのですが、実際に完全に閉ざしていたわけではもちろんありません。近年では「四つの口」という概念が教科書にも登場しているかと思いますが、「松前口」「長崎口」「対馬口」「薩摩口」という四つの口を通じて徳川日本は世界に繋がっていた、という議論です。

 

松前口」は松前藩を通じてのアイヌとの通商関係です。「長崎口」は出島を通じたオランダ東インド会社や唐人屋敷を通じた明清との通商関係です。「対馬口」は対馬藩を通じた朝鮮王朝との国交関係です。当時の国交関係は朝鮮王朝とのみ結ばれていました。「薩摩口」は薩摩藩を通じた琉球との関係です。琉球は政治的には薩摩藩に組み込まれていましたが、清との朝貢関係を残しておいた方が薩摩藩にとって都合が良かったのと、清との本格的な対立を回避する目的で琉球王国という形で残されていました。

 

要するに外国との関係を完全に遮断していたのではなく、外国との関係を国家が統制していた、という考え方です。

 

海禁体制の基本は「人臣に外交なし」という言葉で言い表せます。明皇帝から冊封された国王のみが明皇帝との関係を持つことができるのです。

 

ちなみに華夷秩序のもとでの国家というのは今日我々がいる国家とはかなりイメージが異なります。「礼・文中華主義」に基づく華夷秩序が特徴です。どういうことか、といいますと、「礼・文」的素養を身につけた、つまり儒学を身につけていることが「中華」の条件です。それに対し儒学を身につけていないことを「夷狄」と呼びます。中華と夷狄の関係を華夷秩序と呼びます。

 

華夷秩序は固定的、血統的観念では本来はありません。「礼・文」を身につければ中華に近づけます。一方、「礼・文」を守れないと夷狄になります。現実はともかく理念自体はそういう形になっています。

 

日本では江戸時代はともかく平安・鎌倉・室町時代にそういう「礼・文中華主義」がどの程度浸透していたか、といえば、あまり普及しているとは言えません。しかし天皇や将軍は論語礼記などの儒学の経典から学問を始めます。したがって彼らも「礼・文中華主義」にはどっぷり浸かっているとも言えるわけです。

 

皇帝を中心とした華夷秩序において、国王は皇帝の周辺に位置して皇帝から冊封された土地を治める存在です。燕王などの諸王と日本国王や朝鮮国王などの諸国王は実は同じ「王」です。明皇帝から冊封された王のみが皇帝と直接関わることを許されます。したがって皇帝と交渉できるのは国王およびその使節のみです。

 

そのもとでの貿易は朝貢貿易、公貿易、私貿易に分類されます。我々は冊封体制といえば朝貢貿易だけに目が行きますが、実際にはそれ以外にも様々な貿易形態がありました。

 

朝貢貿易は言わずと知れた、朝貢ー回賜の関係からなる貿易です。周辺の蕃国は朝貢品を皇帝に貢ぎます。それに対し皇帝からは回賜品が送られます。当たり前ですが朝貢に対し10倍返しくらい返さないと周辺諸国朝貢しません。朝貢を一方的な収奪と見るのは間違いです。周辺の蕃国にとっては極めて大きな経済的利益があるわけです。というか、それがなければ誰がわざわざ朝貢するか、という話です。

 

明にとっても大きな意味があります。多くの蕃国が皇帝の徳を慕ってやってくる、という図式を作ることは、皇帝の権威をこの上なく向上させる意味があります。したがって朝貢でどの程度大盤振る舞いするか、というのは明側の経済的な余裕と明にとっての必要性に左右されます。

 

義満時代にはぼろ儲けだったのに義教時代になるとしょぼくなるのは、永楽の盛時から仁宣の治への意向が関係してきます。さらに土木の変で明が苦しくなると余計にケチくさくなります。

 

公貿易は朝貢品以外のものを明の官衙が買い上げるものです。これもかなり周辺諸国に有利なようになっています。

 

私貿易は皇帝の許可した商人と使節の貿易です。

 

明にとっては外国の品が全く必要ないか、といえばそうではありません。明も交易したいわけです。琉球王国はそのために明が整備したツールです。この辺については2月の第4回で詳しく説明します。

 

次の更新では日本国王について説明します。特に最初の日本国王である「日本国王良懐」について重点的に説明するつもりです。よく知られている「日本国王源道義」=足利義満に先行する日本国王です。

 

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