オンライン日本史講座三月第一回「摂関政治と天皇」1
3月・4月は五月初頭の天皇の代替わりを視野に入れた講座を開催していきます。
200年ぶりの譲位と上皇の誕生を前にして、皇位継承がどのように行われてきたのか、それを通じて天皇のあり方を考える材料を提供したいと思います。
統一テーマ
中世・近世の皇位継承
3月14日(木) 院政の開始と展開
4月11日(木) 戦国時代と天皇
4月18日(木) 江戸時代前半の天皇
4月25日(木) 江戸時代後半の天皇
第一回目の「摂関政治と天皇」は、概ね清和天皇から後三条天皇を想定していますが、やはりここは藤原道長と一条天皇・三条天皇が中心で、後三条天皇が最後を締める、という感じになると思います。
私は中学受験の国語と社会も指導していますので、この辺を教えるならば、摂関政治とは何か、という話から入ります。わかりやすく天皇と外戚関係を構築し、有力貴族を追い落として権力を握った藤原氏は外戚として天皇が幼い時は摂政、成長すると関白になる、という話を教え、初の人臣摂政藤原良房、初の関白藤原基経を覚えさせ、追い落とされた貴族として伴善男、菅原道真、源高明を覚えさせます。この辺は受講生の受けたい学校との調整がありますが、今は社会を受ける生徒は激減していますので、上位校受験者もそうでない受験者も一緒です。こういう時に受験指導では上に合わせます。もっとも一応の目安を示して、苦手な人は最低限覚えるべき知識を示します。この辺は過去問を大量に解けば大体わかります。以上塾講をやる人のための講座でした。
それはさておき、そもそも「摂政」と言えば、我々は「聖徳太子」だとかいろいろ出てきます。しかし聖徳太子の「摂政」と藤原良房の「摂政」は同じでしょうか。当たり前ですが同じではあり得ませんね。推古天皇は女性だから摂政を設置した、という話は推古天皇を舐めすぎです。そもそも女性天皇の時に摂政が置かれるのであれば、皇極・斉明天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙・称徳天皇の時に摂政が置かれていないとおかしいのですが、その辺はまるっと無視です。こういう話をすると特に歴史が苦手な生徒は訳が分からなくなりますので、その辺は余談として話します。
清和天皇が皇位を継承した経緯や、そこでの外祖父で太政大臣であった藤原良房の職掌が「摂政」だったわけで、「摂政」が職名となるのはもう少し後のようです。
関白藤原基経の場合は一つは文徳皇統から光孝皇統への転換が問題になります。この中で藤原基経による権力の掌握が進み、太政大臣藤原基経は「関白」という職掌を担当することになります。
こうして「摂政」「関白」が誕生する訳ですが、まだ「摂政」「関白」は地位としては確立していません。したがって「延喜・天暦の治」なる幻想が登場してくる訳です。
この辺は私はど素人なので次の書籍に全面的に依拠しています。
次のお知らせは日曜日の深夜にお送りいたします。「摂関」が職掌から地位へと変化していく過程を説明いたします。