足利尊氏袖判下文(『朽木家古文書』国立公文書館)
今週は改元便乗企画のため、古文書入門を水曜日に変更しています。来週は通常通り月曜日が古文書入門になります。
朽木家古文書から20号文書の「足利尊氏袖判下文」です。
では写真を見てみましょう。
早速釈文と読み下しから行きます。
(花押)
下 佐々木出羽四郎兵衛尉経氏
可早領知備前国野田
保地頭職事
右、以人為勲功之賞、所
宛行也者、守先例可致
沙汰之状如件
観応二年六月廿六日
読み下しです。
下す。佐々木出羽四郎兵衛尉経氏
早く備前国野田保地頭職を領知すべきこと
右、人を以って勲功の賞として、宛て行う所なり、てえれば、先例を守り、沙汰いたすべきの状件の如し
観応二年六月二十六日
個人的に悩んだのは「右以人」の読みです。「以」は下に「〇〇」をつけて「〇〇を以って」と読むことが多いので、「人を以って」ととりあえず読みましたが、「右」をどうするか、悩みました。『史料纂集』では読点を打っていないので「右人を以って」と読みたくなりますが、実際そう読んでしまうと「右の人を以って」なのか、「右、人を以って」なのか、わかりにくいので読点を打ちました。
「為」の読み方ですが、「〇〇の為」「〇〇として」「〇〇となす」が思いつきます。ここでは「勲功の賞として」と読んでいます。
あとは「者」の処理です。「てへれば」(ということなので)と読みます。
最初に「下す」と書いてあり、しかも花押がドンと文書の袖(一番右側)に据えてあります。下文という非常に尊大な形式の文書です。尊氏が経氏に恩賞として土地を与えているので態度がデカくなるのは当然です。
下文はやがて御判御教書にその地位を取って代わられ、応永年間には姿を消します。ただし大内義隆は古色蒼然たる形式を好み、下文を出しています。
御判御教書については下記にまとめました。
明日は後嵯峨天皇についてオンライン日本史講座を行います。
ではまた明日以降に。