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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

白村江の戦いーオンライン日本史講座「戦争の歴史」1

5月30日(木)午後8時30分からの新しい「オンライン日本史講座」のお知らせです。

下記の5月30日のリンクです。ただこの部分はどこのリンクからでもいけます。

ticket.asanojinnya.com

直接つながるにはこちらです。

https://zoom.us/j/481363987 

Zoomのダウンロード(無料)とメアドが必要です。スマホタブレットが適していると思います。

 

今度は「戦争の歴史」ということで、日本史上の戦争について、私の独断と偏見で選ばれた戦争を見ていきます。

 

ベースは立命館アジア太平洋大学立命館大学で行なっていた一般教養の「日本の歴史」「歴史観の形成」の講義です。

 

1回目は白村江の戦いを見ていきます。

 

ベースとしているのは仁藤敦史氏の『さかのぼり日本史 都がつくる古代国家』です。

 


NHKさかのぼり日本史 外交篇[10]飛鳥~縄文 こうして“クニ"が生まれた なぜ、列島に「日本」という国ができたのか

 

 あとは大津透氏の『天皇の歴史 神話から歴史へ』ももちろんベースにしています。

 


天皇の歴史1 神話から歴史へ (講談社学術文庫)

 

 で、いきなりですが、私は斉明天皇に関する今までの見方に非常に不満があります。

 

斉明天皇は宝皇女(たからのひめみこ)といいます。敏達天皇の曾孫にあたります。推古天皇の次の天皇である舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子大海人皇子の二人を産みます。

 

舒明天皇の死後、皇極天皇として即位します。この時に中大兄皇子中臣鎌足らによるクーデタが勃発し、当時朝廷で圧倒的な力を持ってきた蘇我入鹿が殺され、新たな政治体制が始まります。

 

皇極天皇は弟の軽皇子(かるのみこ)に譲位します。生前に退位した初めての天皇となります。もっとも当時天皇と呼ばれていたかどうかは微妙で、多数説では天武天皇の時と言われています。したがってこの時期は大王(おおきみ)と呼ぶべきという意見もあり、判別のために「皇極大王」とするべきという考えもありますが、「皇極大王」と描こうとすると「紅玉大王」とリンゴの王様になってしまうことが多いので、便宜上皇天皇と表記することにします。

 

軽王子こと孝徳天皇がやがて失脚し、皇極天皇が再び皇位につきます。再び皇位につくことを重祚と言いますが、初めて重祚した天皇でもあります。つうか大王か。これも煩雑なので「天皇」に統一します。

 

重祚後の彼女は斉明天皇といいます。斉明天皇は「さいめい」と書くだけで確実に「斉明」と出てくれるので、斉明と表記します。

 

斉明は中大兄皇子に全てを委ね、中大兄皇子が事実上の天皇として万機を執り行ったとされます。

 

そのころ海域アジアでは新羅百済・倭(やまと)・高句麗の勢力分布が変動していました。基本的に晋の弱体化で海域アジアの半島部分では高句麗対他の残りという対立図式があり、島嶼部分に成立した倭は半島南端部の加羅諸国に勢力拠点を構築しながら新羅百済と組んで高句麗に対抗する、という図式でした。

 

それが唐の建国で大幅に変動します。新羅は唐と組み、高句麗百済による同盟が結ばれ、倭はどちらに属するか、という難問に直面します。

 

倭の結論は長い交流関係を保ってきた百済との連携でした。百済遠征軍が用意され、斉明もそのために筑紫に滞在中に客死してしまいました。

 

ここまでの斉明の人生を見てみると息子の中大兄皇子に振り回されただけのか弱き女性というイメージしかありません。

 

しかしそれは彼女の実像でしょうか。史料にはそう書いてあるのでそれを信じるしかない、と言われればそうなのですが、仔細にみると破綻が見えます。彼女の大規模な土木工事は「狂心」と後世非難されました。これは有間皇子の謀反の時にも蘇我赤兄が斉明の土木工事の非をならしています。この大規模な土木工事は権力を全て中大兄皇子に任せて暇になったが故の無駄な土木工事だったのでしょうか。そうではないでしょう。この土木工事は天皇の権威を上昇させるためのものであり、彼女の土木工事は彼女の時代の粛慎討伐に代表される日本列島北部への軍事介入や唐への蝦夷の献上に見られる、帝国としての自己主張とリンクします。さらに彼女が作らせたという須弥山には彼女自身が世界の中心にいるという、肥大化した自意識が見られます。最終的に百済救援、唐・新羅連合に戦争という無謀な戦争に突入したのも彼女の肥大化した自意識で説明できるのではないでしょうか。

 

とりあえず私なりの斉明天皇像を描き出してみたいと思います。もっとも素人なのでこの辺は光速で撤回するかもしれません。