室町時代に伏見に飛来したペリカン
こんな記事を見つけました。
ここのペリカンの説明によると永享2年に京都伏見の舟津で捕らえられたのが日本における最古の記録、ということで、後花園天皇と貞成親王に関することには食いつく拙ブログとしてはこれは触れないわけにはいきません。
『看聞日記』永享2年閏11月28日条を見ますと、ありました。
一応原文ではなく読み下しで書きます。
そもそも舟津猟師、興ノせウと云う大鳥一羽之を捕え持参す。鳥の体毛羽白〈鵠(くぐい=白鳥)の如し〉觜長し。下にウタ袋赤く大なり。鳥の勢鵠二許大なり。稀有の鳥なり。珍しき名鳥の間、先ず召し置く。但し預かりは猟師、太刀一これを賜う。
29日にはこれを義教に見せようとしますが帰途に死んでしまいます。
興ノせウ勧修寺にこれを遣わす。室町殿見参に入るべきのよし申さしむ。しこうして勧修寺申す旨、この鳥恠鳥歟、未だ見聞きせざる鳥なり。左右なく進らせらるべきの条、如何のよし申し返し進らす。しかるに帰路死におわんぬ。乗輿の間長途、輿の中狭少、よって死する歟。不便なり。
とまるでペリカンの記事を見てから『看聞日記』を読んでいるかのようですが、実は逆で、広橋兼郷の動向を調べていたら、この記事が目についたわけです。で白鳥の二倍の大きな鳥で、くちばしが長く、大きな袋がある、ってこれはペリカン以外にはないだろう、と思ったのですが、本当にペリカンが室町日本にやってくることはあるのか、と考えて「ペリカン 迷鳥」で調べたら上のサイトがヒットして、「ペリカンでいいんだ」と思った次第です。
調べてみましたら、日本にはハイイロペリカン、モモイロペリカン、ホシバシペリカン(フィリッピンペリカン)が迷鳥として飛来した記録があるようです。
この写真を見る限りハイイロペリカン(Pelecanus crispus Bruch,1832)で決まりだと思います。色が白っぽくてくちばしが赤い、というあたりを満たし、比較的日本に飛来のデータが多いペリカンです。