佐々木頼綱譲状案(『朽木家古文書』147 国立公文書館)
古文書入門です。
『朽木家古文書』一四七号文書です。これはまた国立公文書館の写真と『史料纂集 朽木文書』の番号が一致しています。
では翻刻です。
次男五郎源義綱ニ譲渡所領事
一、近江國朽木庄〈承久勲功、祖父近江守信綱拝領所也〉
一、常陸國本木郷〈弘安勲功、頼綱拝領所也〉
右彼両所ハ勲功庄也、小所なりと(登)いへとも
他に(尓)ことなる(流)所領なり、そ(楚)の(乃)むね(袮)を存知して
知行すへ(遍)き状如件
弘安十年二月廿八日左衛門尉源頼綱 御在判
右承久ノ比より寛永四年迄ハ四百十年ニ成
寛永年間に書写されたことが奥書よりわかります。「案」というよりは「写」というイメージの方が近いかも、と思います。
( )内に字母を入れておきました。
読み下しです。
次男五郎源義綱に譲り渡す所領の事
一、近江國朽木庄〈承久勲功、祖父近江守信綱拝領所なり〉
一、常陸國本木郷〈弘安勲功、頼綱拝領所なり〉
右彼の両所は勲功の庄なり。小所なりといへども他に異なる所領なり。その旨を存知して知行すべき状件の如し。
弘安十年二月廿八日左衛門尉源頼綱 御在判
右承久の比より寛永四年迄ハ四百十年に成る
ここに出てくる「源頼綱」は高島高信の次男の高島頼綱です。彼は霜月騒動で大功を立て、朽木谷を譲与され、朽木氏の祖となりました。頼綱の次男の義綱は正式に朽木氏を名乗り、朽木氏の初代となります。義綱の曾孫の経氏の代に池氏の所領を併呑し、有力者となります。