明智光秀と京都
古文書入門に変わる企画の史料講読です。
朽木家古文書はとりあえずネタ切れを起こしましたので、一旦終了して、しばらく大河ドラマ『麒麟が来る』便乗企画として明智光秀文書を見ていきたいと思います。ただ現物の文書はないので、ここでは主として読み下しと出来ればその文書の解説をしてみたいと思います。光秀の京都の文書を全部やってしまったらまた朽木家文書の写真版を使ってやっていきたいと思います。
私事ですが、京都時代の明智光秀について見ていかなければならないので、その準備を兼ねています。
基本的には藤田達生・福島克彦編『明智光秀 史料で読む戦国史』(八木書店、二〇一五年)を使用しています。
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まずは一つ目です。朝山日乗・村井貞勝・明智光秀の連署状です。
公方様御台様 御座所近辺寄宿停止之旨、被仰出候、万一莵道角之族申仁於在之者、記挍名急度可有注進候、為其如此候也
二月廿九日 〈明智十兵衛尉〉光秀(花押)
〈村井民部少輔〉貞勝(花押)
〈日乗上人〉朝山(花押)
近衛殿御門外
同五霊図師町人中
この文書は『増訂織田信長文書の研究』補遺十五号文書です。そこでは読み下しもあります。
公方様御台様御座所近辺に寄宿停止の旨、仰せ出され候、万一兎角の族(ママ)申す仁これ在るにおいては、交名を記し、きっと注進あるべく候、そのためにかくの如くに候なり
現代語訳です。
公方様(足利義昭)御台様御座所近辺への寄宿を停止する旨を仰せ出されました。万一いろいろなことを申す人がいた場合は、その名前をリストに載せて報告しなさい 。そのためにこの通りである。
問題は「御台様」が誰か、ということです。
『増訂織田信長文書の研究』補遺・索引では「御台所」を「信長御台」としています。これは195号文書に「公方様并信長御台」と書いてあることが根拠で、そう言われるとそういう気もしますが、問題が近衛家周辺で起こっていることを考えれば、足利義輝の御台の可能性も残されていると思います。
とりあえずこんなところで。続くかどうかは未定。