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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

後花園天皇ノート

小倉宮からの献上品

永享七年八月二十五日のことです。 『看聞日記』に次のような記載があります。 自南朝小倉殿、後朱雀院、後三条院両代之宸筆御記二合、室町殿へ被進。則内裏へ被進云々。 以上の短い文言ですが、「南朝小倉殿」とは、後亀山天皇の孫の小倉宮聖承です。後花園…

文正元年の政情不安について2

応仁の乱の直前に起きた政情不安についてですが、震源地が斯波武衛家であるらしいことは前回少し書きました。 若くて当主が次々と死んでいった斯波武衛家ですが、若い当主の後見として一門の大野斯波家から斯波持種がやってきますが、もう一人後見していたの…

文正元年の政情不安について

後花園院政が開始されてしばらくすると世情不安が訪れます。 文正元年(1466年)には近衛家では累代の記録類を岩倉に避難させています。これが結果的に当たり、近衛家は記録類を消失させずに現代にまで貴重な記録類を伝えてくれたのです。 一条家では一…

後花園天皇と空虚な中心としての天皇制

東島誠氏は下記著作で「天皇制とは中世後期の所産であるーこの結論は決して意外ではない」といいます。 選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ) 作者: 東島誠 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2010/06/11 メディア: 単行本(…

後花園天皇をめぐる人々ー後土御門天皇3

後土御門天皇について以前に渡邊大門氏の『戦国の貧乏天皇』を紹介いたしましたが、末柄豊氏が新しい『戦国時代の天皇』(日本史リブレット)を出しています。 戦国時代の天皇 (日本史リブレット) 作者: 末柄豊 出版社/メーカー: 山川出版社 発売日: 2018/07…

後花園天皇をめぐる人々ー後土御門天皇2

末柄豊氏に「天皇と室町殿の微妙な関係」という文章があります。『新発見!週刊日本の歴史』室町時代3に入っています。 週刊 新発見!日本の歴史 2013年 12/15号 [分冊百科] 出版社/メーカー: 朝日新聞出版 発売日: 2013/12/03 メディア: 雑誌 この商品を含…

後花園天皇をめぐる人々ー後土御門天皇

息子です。次の天皇です。遺体を40日間放置され腐敗してしまった、ともっぱらの噂です。五回も「朕は退位する」と宣言して、結局最後まで退位しなかった「やめるやめる詐欺」の人です。 とまあ、あまりいいイメージのない天皇ですが、実際父親の後花園天皇の…

日野本家について

汚ったねぇ字で恐縮ですが、日野家と天皇家・将軍家の系図です。ポイントは日野宗家を中心に書いているところです。 つまり日野時光の子孫のうち、資教ー有光ー資親が日野家嫡流です。 資康ー重光・康子・栄子ー義資・宗子・重子ー勝光・富子は日野家の庶流…

後花園天皇をめぐる人々ー嘉楽門院

後花園天皇をめぐる人々、本日は嘉楽門院藤原信子です。 ざっくり言うと後花園天皇の愛妻です。 出自が宮廷に上がることが考えられないほど低かったとされています。『管見記』には噂として地下の楽人の娘というのが書き留められていて、それがのちに事実で…

後花園天皇をめぐる人々ー足利義教

後花園天皇をめぐる人々、今回は足利義教です。 言わずとも知られた籤引き将軍。このくじ引きについてはヤラセ説も根強いですが、多数説はヤラセではないとされています。私も多数説に従いたいと思います。 足利義満の五男として生まれています。生母は足利…

後花園天皇をめぐる人々ー後小松院

後小松天皇、第百代天皇、南北朝合体の時の天皇、一休宗純の父と言われる、足利義満の傀儡、足利義満による王権簒奪の対象。 彼を表す言葉は、当たっているものから、現在は否定されているものまで多くあります。 ただ彼を一言で表すと残念ながら「暗愚」の…

後花園天皇をめぐる人々ー貞成親王2

貞成親王後編です。 後花園天皇をめぐる多くの人と同様、彼の運命も、後花園天皇の皇位継承で激変します。 今までことあるごとに「計会」(やりくりがきびしい)とこぼしていました。また崇光院の崩御後は要人の往来も絶え、寂しいかぎりでした。 しかし天皇…

後花園天皇をめぐる人々ー貞成親王

言うまでもなく後花園天皇にとって最大の影響を与えた、と言っても過言ではない人物です。実父です。教養人で、風流な人であった彼の教養・素質を後花園天皇はよく引き継いで後世に「近代の聖主」とか「中興の英主」とか讃えられるようになった、と言われま…

後花園天皇をめぐる人々ー東御方

厳密に言えばこの人は後花園天皇に直接深く関わった人ではありません。幼少期に彼の面倒を見ることはあったにせよ、伏見宮家の先代の栄仁親王の妻の一人で、王子を生んでいます。 三条実継の娘です。実継のひいひい孫が実雅と尹子なので、一応足利義教とも関…

後花園天皇をめぐる人々−敷政門院庭田幸子

後花園天皇の実母です。 この時代の女性の名前についてまずお話しします。 我々は源頼朝の妻の北条政子や足利義政の妻の日野富子の例を見て、日本で夫婦同姓が全く伝統ではないことを知っています。 ただこれは少し注意を要します。 頼朝が知らない政子とい…

後花園天皇をめぐる人々−御乳人

後花園天皇をめぐる人々について、備忘録的にまとめていきます。 第一回目は、普通に考えれば実父の後崇光院か実母の敷政門院になるのでしょうが、その辺はとりあえずウィキペディアでも見ればそこそこわかるので、ここでは御乳人と呼ばれた後花園天皇の乳母…

禁闕の変

これについて一番詳しく記述がなされているのが、『看聞日記』です。何せ実際に巻き込まれた「御乳人」(後花園天皇の伯母で乳母)が貞成親王に報告しているからです。御乳人は貞成親王の妻の幸子の兄重有の妾で、幼少時の後花園天皇を養育していました。養…

天皇、綸旨を取り消されたってよ5

荒れ果てた神泉苑。そこに現れた唐橋在綱の家人たち。 「ここの土地は俺たちが天皇様から拝領したんだ、ヒャッハー!!!!」 神泉苑を管理していた長福寺とその管理者である東寺が訴え出た。 「あいつら、嘘ついて天皇様の綸旨をもらってやりたい放題です」…

天皇、綸旨を取り消されたってよ4

綸旨を取り消されるということはよくあるのでしょうか。不勉強なんでその辺はわかりませんが、御成敗式目にも「掠め給わる」という言葉が出てきますので、昔からお上を騙して不正に補助金やらを「掠め給わる」悪党はいたんでしょう。この場合補助金を出した…

後花園天皇、綸旨を取り消されたってよ3

唐橋在綱「今、金がなくって困ってんすよ〜。収入、なんとかなりませんかね」 後花園天皇「よっしゃ、ワイの持っとる土地で荒野になってしもたのがあるから、それやるわ。それをなんとかしろや。おい、(庭田)雅行、(鷲尾)隆頼、綸旨出したれ」 庭田雅行…

後花園天皇、綸旨を取り消される2

後花園天皇が綸旨を取り消される、という事件について取り上げています。 次にあげる「室町幕府奉行人連署奉書」であっさり取り消されています。 hyakugo.kyoto.jp 翻刻から。 神泉苑境内事、号荒野菅二位 在綱卿家雑掌猥被掠給綸旨云々、 於彼地近遍者、有…

後花園天皇、綸旨を取り消される

「綸言、汗の如し」という言葉があります。綸言とは天皇の言葉、汗の如し、というのは汗のように一旦出たら取り消したり訂正したりできないもの、という意味です。 為政者が自分の言った言葉を簡単に翻して、全く恥じなければ、為政者の言葉に重みがなくなり…

後花園天皇宸筆女房奉書

女房奉書について、少し見ていきたいと思います。 題名がそもそもおかしいですね。「奉書」なのに「宸筆」。つまり「奉書」とは主君の意を奉って祐筆が書く書状のはずです。天皇の意を奉じるのであれば「天皇様はこのように仰せである。そこで私が天皇様の意…

キレる後花園天皇

題名は田村航氏の「揺れる後花園天皇」(『日本歴史』818、2016年7月)のパクリです。 田村氏の論文は、永享の乱における治罰綸旨の復活をめぐって、従来は幕府権力の動揺を朝廷の権威で補おうとした、とされてきたものを、逆に動揺する後花園天皇の…

後花園天皇の陵墓

この前、後花園天皇陵の参拝に行ってきました。後山国陵(のちのやまくにのみささぎ)といいます。京都市右京区にある、とは行っても、かつての北桑田郡京北町ですから、かなり不便なところにあります。京都駅からJRバスで周山、そこから乗り換えて常照皇寺…

後花園法皇の最期

後花園法皇最期の様子を最も克明に今日に伝えるのは『親長卿記』です。後花園院の側近を長く務めた甘露寺親長の日記です。 文明二(一四七〇)年十二月二十六日、親長は引越しの当日でした。その日、暇を取り、晩に退出しています。ちなみにこの頃後花園法皇…

生首が届いたら−後花園天皇の政治責任

いきなり物騒ですみません。 生首が届けられた時の反応について見て見ました。 永享五年九月十四日のことです。 大外記をつとめた中原師郷の日記『師郷記』の記述です。 今日九州賊首被御覧之。去月十六日・十九日両度合戦、大内討少弐父子三人云々。 大内持…

『看聞日記』永享七年八月六日条のうちから伏見宮御所移転関係

翻訳から 三条中納言(実雅)が来た。用事は何かわからない。急いで対面した。申される内容は「室町殿様(足利義教)が京都御所を建てられて、それを伏見宮様に進上したいということです。ただ御在京は御仕えする人々にとっては難儀なことなので、このまま伏…

羽賀寺縁起に後花園天皇が出てくる理由について

中世北方史をやっている研究者にとって一番目にする天皇は後花園天皇でしょう。というよりも後花園天皇以外の天皇を目にすることはほぼないと言って過言ではありません。 『東日流外三郡誌』にも出てきます。『北部御陣日記』にも出てきます。これらは以前ネ…

伏見宮貞成親王の御所に足利義教が訪れた話

永享二年十二月二十日、足利義教が伏見宮貞成親王の元を訪ねました。 伏見宮貞成親王は後花園天皇の父親です。しかし後花園天皇は院政を敷いている後小松上皇の養子ということで皇位を継承しているので、貞成親王は天皇の父親という扱いは受けていません。宮…