足利義教
またあやしげな人物が出てきました。足利尊有。足利氏関係のウィキペディアを見ている方は誰だかわかります。大覚寺義昭です。 こういう「要出典」と言いたくなる場合は『大日本史料』のデータベースを見てみると色々わかります。義昭が「尊有」と名乗ってい…
久しぶりの更新です。 日野義資、と言えば、義教ファンからすれば「ああ、あの人ね」とすぐに分かるネタです。一応義教ファンではない方も読んでいる可能性を考慮して日野義資と足利義教について説明しておきます。 一般に言われているのは次の通りです。 日…
備忘録です。 『公名公記』(西園寺公名の日記)永享十年(一四三八)七月二十二日条に次のような記述がありました。 武家去十三日、以金杖被殺害座右痴女云々。未曾有事也。 ちなみに伏見宮貞成の仕女で、義理の母(父栄仁親王の側室)の東御方は「金打」(…
まるで「きれいなジャイアン」みたいなタイトルです。 ドラえもん メモ帳 きれいなジャイアン 藤子・F・不二雄ミュージアム限定 室町幕府六代将軍足利義教といえば「万人恐怖」「将軍犬死」などの言葉が思いつきます。その義教が優しいとは、まるであのジャ…
足利義教と言えば極めて強い意思で弱体化した日本を立て直し、琉球まで支配したスーパーマンであるという幻想が通用しています。 そのバリエーションが南部氏と安藤氏の戦いに介入し、南部氏に対して御内書を出して強く和睦を勧めたためにさすがの南部氏も義…
足利義教はしばしば織田信長のモデルともなった強力なリーダーシップを持った強烈な独裁者というイメージを持たれています。もっとも織田信長は足利義教のことを「悪御所」とディスっていますから、信長が義教のことを基本的には評価していなかったことが伺…
足利義教による「嘉吉附庸説」なる怪しい議論があります。1983年に完膚なきまでに叩き潰され、これまで琉球に言及する歴史学研究者はまずそれを何らかの事実を踏まえている、とは考えない代物ですが、一般書で歴史学者の肩書きでこれを取り上げる人がい…
足利義教が琉球を島津氏に与えた、というデマがあります。これはデマと言って何ら問題はありません。これは学問上ではすでに否定され、決着がついている問題ですが、いまだにネット上では信じられているデマでもあります。多くの義教関係の著作や琉球関係の…
足利義教の評伝ということになりますと、従来の足利義教論との最大の差異化ポイントは、青蓮院門跡義円時代をいかに描き出すか、ということだと思います。 この際に避けて通れないのが石崎建治氏の論文「天台座主青蓮院門主義円時代の足利義教についてー永享…
足利義教の評伝に際しては「義教スゲ〜」説についてしっかり考察する必要がありそうです。 これはもちろん義教が凡庸であった、ということを主張したいのではありません。義教が相当有能であったことは当時の記録から見ても間違いがありません。しかし義教を…
ここのところエントリに多くアップしている足利義教ですが、彼が将軍になる前は青蓮院門跡という天台宗比叡山延暦寺で天台座主大僧正も務めた高僧であることも有名ですね。 ただ引っかかるのが「天台開闢以来の逸材」という言葉です。義教の聡明さを示すいい…
ここのところエントリに多くアップしている足利義教ですが、彼が将軍になる前は青蓮院門跡という天台宗比叡山延暦寺で天台座主大僧正も務めた高僧であることも有名ですね。 ただ引っかかるのが「天台開闢以来の逸材」という言葉です。義教の聡明さを示すいい…
足利義教と織田信長と言えば似たもの同士扱いです。 確かに比叡山焼き討ちとか、強圧的な政治とか、沸点や発火点が極めて低くすぐにキレるところとか、確かによく似ています。 しかしだからと言って信長が義教を目標にしていた、とかいうのは冗談のレベルで…
足利義教評伝構想の続きです。 sengokukomonjo.hatenablog.com 足利義教は誤解されやすい人物です。足利義教に関する誤解と言えば、二言目には「凶暴」「狂気」と出ます。実際義教には執念深いところがあり、それがしばしば特に後小松天皇関係者に現れること…
久しぶりの更新です。 本日は日野勝光を取り上げたいと思います。 日野勝光は有名な日野富子の兄に当たり、その立場を生かしてかなり強引な政務運営を行い、「押大臣」(おしのおとど)と言われた、とされています。 NHK大河ドラマ『花の乱』で草刈正雄さん…
『乱世の天皇』の秦野裕介が嘉吉の乱を書くと というか、もう『乱世の天皇』の中に書いてあるし。何格好つけてんだ、というネタでしかありません。 これが『乱世の天皇』の秦野裕介が安倍晋三政権を総括する、とかだったら格好がつくのですが、肝心の中身が…
足利義教の評伝をいつかどこかで書こうと決めましたが、まずはネタ作りです。 NHKの「知恵泉」という番組でそういえば足利義教が取り扱われていました。ググってみるとその番組の中身が分かりました。ただかなり違うんじゃないかな、と思わせるところがあり…
後花園天皇の評伝を書くと、次の課題は足利義教の評伝です。 言わずと知れた室町幕府六代将軍です。足利義満の子として生まれ、青蓮院門跡から延暦寺の天台座主を務めた高僧です。兄の足利義持の死去に伴い、くじ引きで将軍に選出され、将軍権力を強化しよう…
拙著『乱世の天皇』を読むときに知っておくと役に立つ知識です。今回は後小松天皇を取り上げます。 後小松天皇については以下のエントリで取り上げたことがあります。 sengokukomonjo.hatenablog.com sengokukomonjo.hatenablog.com あまり有名な人物ではな…
拙著『乱世の天皇』の読み仮名の苦労を前エントリでしましたが、天皇家の諱(いみな)は結構苦労することが多いです。 茂仁(とよひと)=後堀河天皇 秀仁(みつひと)=四条天皇 豊仁(ゆたひと)=光明天皇 幹仁(もとひと)=後小松天皇 成仁(ふさひと)…
拙著『乱世の天皇』(東京堂出版)が本日ネットショップで発売受付が開始されました。 www.tokyodoshuppan.com 目次です。 序章 天皇存続のキーパーソン後花園天皇第一部 分裂する天皇家 第一章 天皇家の分立 第二章 南北朝内乱 第三章 後小松院政の展開第二…
発売も近づいてきた拙著『乱世の天皇』(東京堂出版)ですが、いきなり津軽安藤氏が出てくることに戸惑う方も多いかもしれません。しかし拙ブログにて何回も述べてきたように、後花園天皇は東北・北海道史にもゆかりの深い天皇です。拙著の、他の後花園天皇…
今日は何の日、後小松天皇の誕生日だそうです。 拙著として7月末に出版予定の『乱世の天皇』(東京堂出版)の見どころ紹介です。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 後小松天皇はどんな人でしょうか。詳しくは過去ログをご覧ください。 sengokukomonjo…
考えてみれば今日、6月24日は嘉吉の乱の日でした。というわけで慌ててアップします。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 嘉吉の乱をざっくり説明しておくと、六代将軍足利義教が播磨・美作・備前守護職であった赤松満祐に暗殺された事件です。 足利…
拙著が発売されます。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 皇統の分裂を引き起こした後嵯峨上皇による後深草天皇から亀山天皇の譲位を皮切りに天皇家は自律性を失い、幕府を倒壊に追い込み、日本社会を動乱に巻き込みました。その余波は足利義満による統…
四月一日恒例の行事です。民明書房から出版する著書のご案内です。 『嘉吉の乱』 足利義教が赤松満祐に暗殺された嘉吉の乱はかなり有名な戦乱で、その原因から結末まで結構はっきりわかっている。嘉吉の乱で出された後花園天皇の綸旨についても田村航氏や桃…
大覚寺の動画です。 前半 www.youtube.com平安時代、嵯峨天皇が離宮嵯峨院を建立した。桓武天皇は両統迭立をめざし、嵯峨天皇は桓武の構想を受け継いで、嵯峨・淳和の二皇統を迭立させようとする。しかし、842年、嵯峨上皇が崩御すると承和の変が起こり、皇…
赤松氏4代の動きを見ていて大きなターニングポイントは赤松則祐ということになります。則祐が兄の貞範を差し置いて赤松宗家を継承したことが後世に禍根を残すことになったのです。 貞範の子孫は春日部家と言われるようになります。春日部から出た赤松持貞は…
オンライン日本史講座最初期のリバイバルです。 最初期の分のオンライン日本史講座は一部ユーチューブにアップされていない、ということで、リバイバルをしますが、中でも第三回の嘉吉の乱については赤松満祐を悪者にしたことについて兵庫県関係者には不評だ…
追記:この記事を基にして『研究論集 歴史と文化』第5号に「後花園天皇と貞成親王の関係についての基礎的考察」を掲載させていただきました。 後花園天皇と父親の伏見宮貞成親王の間を引き裂くようなデマを言いふらして失脚した広橋兼郷、行動が少し怪しい、…