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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

室町・戦国古文書の実物を見ながら様式について勉強する

室町・戦国古文書を知るためのこの一枚、ということであれば私は迷うことなく室町殿御判御教書(「むろまちどのごはんのみぎょうしょ」、ちなみに「ごはんのみきょうじょ」、と読む人もいます。私もその一人です。しかしパソコンで打ち込むとデフォルトでは「みぎょうしょ」しか「御教書」と変換してくれません。お好きな方を選んで下さい。拙ブログでは「みぎょうしょ」としておきます)を挙げます。なぜかというと、これが戦国大名の印判状(いんばんじょう)の原型となるからです。戦国大名が出す文書の重要なものは印判状で、印判の意図によって朱印状とか黒印状と呼ばれるものです。

 

では現物を見てみましょう。ちなみにこれは利用・改変が自由な「東寺百合文書WEB」から取っています。

hyakugo.kyoto.jp

ヒ函68号文書です。

hyakugo.kyoto.jp

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古文書講座などでよくいわれるのは、文書を読むときにはいきなり本文を読むのではなく、A.所蔵元、B.日付、C.差出人、D.宛名を見るということです。

 

所蔵元については、この文書は「東寺百合文書ヒ−68号文書」で通じますが、所蔵元と言われると京都府立京都学・歴彩館ということになります。

日付については、「応永三十一年三月十二日」と書かれているので一発でわかります。室町時代には結構わからないものもあります。

差出人は「菩薩戒弟子」とありますが、横に「勝定院殿」と書き込まれているので、室町幕府第4代将軍足利義持であることがわかります。さらに花押も誰がどうみても足利義持のものです。

宛名は明記されていませんが、東寺の権益を保証した内容と所蔵者が東寺であることから東寺宛と見当が付きます。

 

ここからだけでも色々情報が出てきます。

日付に年号が記載されているのは、この文書の効力が時限的なものではなく、恒久的なものであることを示しています。今で言えば不動産の登記とか、恒久的な権利保障の文書ですね。時限的な効力のものにはしばしば年号を省略されたものがあります。

 

足利義持の署名と花押(サイン)があります。足利将軍家の当主の意思を伝えていることを示します。ここで重要なことが一つ、応永三十一年、西暦で言えば1424年になりますが、足利義持は息子の義量に将軍職を譲っています。しかし実権は自らの手に残していました。つまり家督はまだ義持のままです。戦国大名でも実はよくみられるのですが、代替わりは一気に行われるものではありません。少しずつ権限が委譲されていくのです。室町幕府の場合、相当期間にわたって将軍職と権力の所在がずれることが多いので、現在では室町幕府の最高権力者のことを「室町殿」と呼び、将軍とは区別することも多くなっています。義持は出家して道詮と名乗っていましたが、ここでは「菩薩戒弟子」と名乗っています。

 

それから先ほどA〜Dの留意点を示しましたが、中世の古文書を読む際には忘れてはならない要素があります。それは書止文言(かきとめもんごん)と呼ばれるものです。文書本文の最後の部分ですね。「○○之状如件」と読めます。くずし字を読んだことのない方でもこれくらいなら読めるのではないでしょうか。

 

この書止文言は、これが室町殿の意思が直接的に現れた直状(じきじょう)形式の文書であることを示しています。室町殿の意思が直接的に現れた文書は二つあります。御判御教書と御内書(ごないしょ)です。両者の違いはざっくりいうと、年号のあるなしになります。権利関係の明示など、恒久的な効力を期待される場合は御判御教書、そうでない場合は御内書となります。したがってこの文書は「足利義持御判御教書」という文書名になります。

 

長くなりましたので続きはまた次回に。