後花園天皇の生涯
後文徳天皇という加後号は「後」に諡をつけたものであったために、一条兼良から批判が出て後花園天皇に変更されている。
諱は彦仁。伏見宮貞成親王(後崇光院)の第一皇子(第二子)、生母は庭田幸子(敷政門院)。
本朝皇胤紹運録、伏見宮系譜、皇年代略記、続神皇正統記、孝亮宿禰記
(按)『看聞日記』に「二宮」とあるのは姉がいるからである。『皇年代略記』に「後小松院第二皇子」とあるのは、天皇が後小松院の猶子となって称光天皇の弟という扱いだろう。
ちなみに貞成親王の皇子は次の通り。
第一王女 性恵女王(1416-1441)三時知恩寺
第一王子 彦仁王(1419-1470)後花園天皇
第二王女 めここ(1421-?)天王寺妙厳院
第三王女 理延女王(1423-?)真乗寺
第四王女 某(1428-1430)
第五王女 ちよちよ(1430-?)
第六王女 雲岳聖朝(1434-1482)
第四王女を除くと生母は敷政門院庭田幸子で確定しているが、貞成親王に側室がいたという記録はないので、第四王女も幸子所生と思われる。
貞常親王の子孫から伏見宮・梨本宮・山階宮・久邇宮・華頂宮・小松宮・北白川宮・東伏見宮・閑院宮・賀陽宮・東久邇宮・朝香宮・竹田宮が分流している。現在「旧皇族」と言われている人々の祖先にあたる。現皇室の祖先が後花園天皇であり、「旧皇族」と現皇室の共通の男系祖先は後花園の父の伏見宮貞成親王となる。