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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

嘉楽門院の父親

嘉楽門院は後花園天皇の下臈で、後土御門天皇の生母です。彼女は室町時代のシンデレラです。

 

藤原孝長という地下の家の娘として生まれた彼女は和気郷成、後にその子の保家の猶子となり、さらに大炊御門信宗の猶子となって後花園天皇に召され、寵愛を受けます。後花園天皇は彼女以外に男子を産ませることができなかったため、彼女の生んだ成仁親王が登極します。後土御門天皇です。

 

彼女の実父について『椿葉記』に見つけました。これ、別に「見つけました」と誇らしげにいうことでもない気もしますが、とりあえず指摘している人が見当たらなかったので、とりあえず記してみます。まあ備忘録程度のもので、「新発見」というものでもありません。ちなみに村田正志氏は「孝長朝臣 藤原惟孝流の一家で、孝道の後裔である」と注釈しています。また孝長の曽祖父の孝重が光厳院に琵琶を教えているところをみても、孝長の家が琵琶を伝授していることは間違いがないでしょう。

 

貞成親王後花園天皇が笙を習うことについて「院の御例めでたき御ことなるべし」とはいいながら「相構へて御琵琶をもあそばるべきなり」と言っています。笙は後光厳皇統のもので、伏見宮家は代々琵琶をやってきたので、貞成親王が「めでたき」と言っていても腹の底ではイラついていることは容易に想像できます。

 

で、貞成親王は「当時は園中納言・孝長朝臣ならでは比巴ひく人なし」「孝長朝臣は当道の物なるうへ、代々御師範にまいれば、尤めさるべき物なり」と言っています。藤原孝長はどうも貞成親王の伝手で後花園天皇に近づいたことがわかります。

 

道理で成仁親王伏見宮家で養育されるし、名前も貞成から一字を取っているわけです。

 

2018年12月7日追記

この点、彼女が大炊御門家の養女となっているのは意味深です。大炊御門信宗の姉は伏見宮に出入りしていました。後花園天皇外戚を考える上では重要な問題と思います。この点また考えます。