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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

『看聞日記』における足利義教ディスについて1

意外と人気の高い『看聞日記』。荒ぶる足利義教をしっかりと描いているので義教ファンにとって最高の書物です。満済の『満済准后日記』もあるのですが、なんせ義教は満済の前ではおとなしいですから。また満済もオブラートに包む名人で、なかなか本音を出しません。どうでもいい話ですが、『東寺百合文書』で出てくる満済は日記とは別人のようにハジけた男です。

 

これからしばらく『看聞日記』の足利義教ディスについてみていきたいと思います。「薄氷を踏むの時節」(永享3年3月24日)、「万人恐怖」(永享7年2月8日)、「恐怖千万」(永享9年2月9日)、「悪将軍」(永享9年11月6日)、「将軍如此犬死」(嘉吉元年6月25日)とあるのですが、実は貞成親王は義教にものすごくお世話になっています。義教が機嫌を損ねないか、ものすごく過敏になっているのは事実ですが、ここまでディスると「忘恩の徒」とかいう言葉が浮かんできます。しかし貞成親王ファンの私としては彼を「忘恩の徒」とは思っていません。

 

まず永享3年3月24日条の「薄氷を踏むの時節」です。

原文は以下の通りになります。

 踏薄氷時節可恐々々。

 何があったのでしょうか。

 

この日は後小松院が出家した日です。後小松院は以前から出家したがっていましたが、義教が反対してきたため、延び延びになっていました。この日のやりとりについては石原比伊呂氏の『足利将軍と室町幕府』(戎光祥出版、2017年)に詳しいです。


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政権基盤が確立していない義教にとって後小松院が出家して朝廷内の秩序が変動するのが望ましくなかった、と石原氏は説明します。にも関わらず出家を強行した後小松院に対する義教の不満はたまる一方です。

 

で、後小松院に仕えてきた西園寺実永や洞院満季らが後小松院に殉じて出家したい、と申し入れます。もちろんリップサービスです。ここで義教が「いや、お待ちください、残って私を補佐してくださらないと回りません」と止めることしか期待していません。ところが義教はあっさり「出家したらええやん」といい、「今日中に出家しないと罪科に問うぞ」と脅したので彼らはあわてて出家した、と伝えます。

 

もう少し詳しく訳をつけると以下のようになります。

院周辺の人々が出家のことを両伝奏(勧修寺経成・広橋兼郷)を通じて室町殿に伺いを立てた。西園寺・吉田・園は勧修寺に申した。洞院・按察(藤原姓土御門)は広橋を通じて申した。しかし勧修寺が三人が院のお供をして出家します、と述べたところ、「決定しているのだから今更伺うには及ばない」ということであった。ものすごく機嫌が悪かったので述べ申していうには「院の上意で出家しますので申し上げるのです」と。すると余計にご立腹で、広橋を通じて「三人は今日中に出家しないと罪に問う」ということを仰せであった。そこで急いで出家した、ということである。洞院と按察は広橋が申した。すると「ともかくも」と仰せられた。これも不快か、出家を遂げた、ということである。仙洞の出家のことは以前再三お止めになった。そこを押して出家したので周辺の人々までムカついているということである。摂政の着座は参るべきであるが、体調不良と称して来なかった。これもムカついたから出仕しなかった、ということである、勧修寺はものすごく室町殿の御意に違ってしまったので欠席した。気の毒なことだ。薄氷を踏む時期、おーこわいこわい。

 少し解説を加えます。

 

勧修寺経成を通じて出家の意向を申し出た公家には返事が広橋兼郷だった、というのはホラーです。経成も巻き込んでしまったか、と思った方、正解です。経成は義教が「決定しているのだから今更グダグダいうな」とキレた時に、「上意で出家するので申し上げるのです」といらんことを言ってます。だから義教は経成にまでキレています。

 

広橋兼郷に対しては「ともかくも」(原文は「ともかくもと被仰」)としか言わなかったようです。これは現代語で「ともかくも」と書いてもそのままです。

広橋兼郷「あのー、洞院と按察が出家したいと伺い申し入れているのですが、どのようにいたしましょう。」

「とにかくな・・・」

(気まずい沈黙)

兼郷「はいー!!!わかりました」

三人のところにもどる。

洞院ら「あのー、室町殿のご返事は?」

兼郷「とにかくな・・・だけでした」

洞院ら「😱」

 

勧修寺経成というのは貞成親王にとっては比較的親しい関係です。播磨国衙領の代官なので、昔から馴染みはあります。その勧修寺が義教の機嫌を損ねたことに関する感想です。

だから

「気をつけないとやばいよねー、そだねー😅」

くらいのイメージで考えるべきではないでしょうか。