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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

昔の改元の時の候補とその出典を見てみよう1−正長から永享へ−

新しい元号が決まりました。令和ということで、『万葉集』から採用されました。

 

月曜日深夜更新の企画は古文書入門ですが、ここはしばらく便乗企画で、後花園天皇の時の改元の出典を見ていくことにします。今日は新元号発表の日ということで、古文書入門をお休みさせていただいて、後花園天皇改元を見ていきたいと思います。今週の水曜日は古文書入門を書いて、それ以降は以前の通り月曜日は古文書入門、水曜日は改元について見ていきます。

 

第一回目の今日は正長から永享です。「代初改元」と『看聞日記』に書かれていますので、後花園天皇の代初改元であることは間違いないと思います。しかし後花園天皇践祚よりも足利義教征夷大将軍任官の方が改元の日に近いので、足利義教後花園天皇の代初改元という意味合いが強いでしょう。ただ義教は義持に比べると改元に関してはまめにやっています。

 

『師郷記』によれば「依代改元無赦儀」とあるので恩赦はなかったようです。どうしても助けたい犯罪者がいなかったのでしょうか。

 

では年号の候補とその出典、それを提出した人を見ておきましょう。

 

正長→永享
九月五日


権大納言按察使資家(土御門家、柳原家の分流)
建定(『史記』「大聖作治建定法度」)、嘉観(『史記』「従臣嘉観厚念休烈」)


中納言藤盛光(日野西家、称光天皇生母光範門院の兄弟)
永同(『後漢書』「俾建永昌同編億兆」)、久和(『周礼』「準則久和則安」)


中納言秀光(日野家日野有光の弟)
元喜(『周易』「六四本吉有喜」)、永寧(『漢書志』「祖已曰修徳武丁従之位以永寧」)


中納言親光(広橋家、後に兼郷に改名)
文安(『尚書』「欽明文思而安安」『晋書』「尊文安漢社稷」)、天和(『荘子』「与人和者謂之人楽、与天和者謂之天楽」)、仁応(『北斉書』「挙世思治則仁以応之」、『荘子』「利仁以応宜」)


式部大輔菅在直(唐橋家)
宝暦(『貞観政要』「自陛下慎順聖慈、嗣膺宝暦情深致治」)、文安(『尚書』「欽明文思而安安」)、慶安(『周易注疏』「有慶貞之吉応地無疆」)


博士菅長郷(高辻家)
和元(『唐書』「陰陽大和元気已正、天地降瑞風雨以時」)、恒久(『周易』「天地之道恒久而不已」)


博士菅在豊(唐橋家)
永享(『後漢書』「能立魏々之功伝于子孫、永享無窮之祚」)、応平(『後漢書』「周公有請命之応、隆太平之功也」)

 

「藤」というのは「藤原」で「菅」というのは「菅原」です。

 

多数決にすると「文安」を二人が提出しているのが目につきます。しかし「文安」は今回は採用されませんでした。

 

「宝暦」と「慶安」は江戸時代に採用されています。

 

いかがでしたか。とりあえず平安時代以降、千数百年にわたってこのように漢籍から採用するのが伝統でした。今回は日本の古典から採用する、という伝統を打破した元号でした。もっとも現在の一世一元の制も中国の明王朝の時に採用され、日本では明治時代に始まった比較的新しい伝統です。とは言っても百数十年の年月を経ているので、むしろ今の日本ではこの百数十年の「伝統」こそが伝統とされているので、その辺は筋が通っています。

 

元号について考える際の材料にしていただければ幸いです。

 

大事なことを書き忘れていました。

 

この永享の改元に反対した人がいました。その名前を足利持氏と言います。どうしたか、といえば彼は数年間「正長」の年号を使っていました。