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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

オンライン日本史講座四月第一回「鎌倉幕府と天皇家の分裂」4

本日のご報告です。

 

nihonshi.asanojinnya.com

ここで動画を閲覧できます。ただし長いので、それをぶつ切りしたものは以下の場所から閲覧できます。

www.youtube.com

本日のテーマでの論点としてはやはりモンゴル戦争が大きいかと思います。いわゆる元寇です。今日元寇という呼称がもっとも多いのですが、当時の言葉ではなく、また「元寇」という言葉で実態をうまく言い表しているか、といえばそうでもないため、今日ではモンゴル戦争、とか、蒙古襲来とか、モンゴル襲来というようにベタな呼び方をするのが流行です。ちなみに「文永の役」「弘安の役」という言い方も実態を反映しているわけではないので「文永異国合戦」「弘安異国合戦」と呼ぶことが目につくようになっています。

 

この辺については私もかつて論文を著したことがあります。

立命館文学』624号、2011年に所収の「クビライ・カアンと後嵯峨院政の外交交渉」という論文です。

以下のサイトから私の名前を見つけてこの論文名をクリックするとpdfが取得できます。

www.ritsumei.ac.jp

直接入手できるリンクは下になります。pdfに注意してください。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624/624PDF/hatano.pdf

 

本日論点となったのは、もしモンゴルが勝利した場合、日本の武士はどうしたか、というifの問題です。まあifの問題は実際には検証不可能なので、学問的な意味はあまりありませんが、ここでは「勝ち馬に乗るのではないか」という点で一致しました。

 

少弐景資はモンゴル戦争で活躍しましたが、彼が岩戸合戦であっさり粛清されているところを見ると、基本彼らはモンゴルの制圧に対して玉砕したか、といえばそうするとは考え難いと考えました。

 

実際に近年の研究でも「神国思想」などの形で「日本」という意識が出てくるのがこのモンゴル戦争を契機としている、とされているので、それを考えても当時の御家人が切り崩される可能性は高いと思います。そもそも菊池武時が挙兵した時、大友氏や少弐氏は菊池氏ではなく鎮西探題を勝ち馬と認めて菊池武時を討ち取りますが、後醍醐天皇の挙兵が成功するとあっさり鎮西探題を滅ぼしています。多数派はこんなものでしょう。

 

ただし実際にどうころんだかはわかりません。

 

もう一つ、モンゴル戦争の結果、瀬戸内や日本海側では流通が整備され、日本全体を一つの経済システムに組み込む動きが出てきます。日本海側や瀬戸内沿岸の守護職を急速に獲得していきます。これが鎌倉幕府による流通支配を表しているのではないでしょうか。

 

もう一つの論点はそもそも日本側が南宋のイデオローグに惑わされてモンゴルへの参加を拒んだのは失敗だったのか、ということです。

 

当時のモンゴルはいわば自由貿易協定のようなもので、鎌倉幕府もモンゴルとの交易に参入していくのであれば、最初からこちらで参加すればいいのではないか、という見方もあります。

 

ただこれに関しては当時のモンゴルが世界システムではなく、あくまでも世界帝国であり、政治的な統合関係を含む以上は日本の選択が誤りであった、とは言い切れないのではないか、と私は個人的には考えています。