昔の改元の時の候補とその出典を見てみよう8−長禄から寛正へ−
長禄四年(一四六〇年)十二月二十一日、改元が行われました。「大乗院日記目録」によれば「五穀不熟旱損蟲損飢饉」とあります。前回も触れた寛正の飢饉です。
寛正の飢饉については以下のエントリで述べた他、いくつかのエントリで触れています。
それでは年号の候補を見てみましょう。この改元が後花園天皇の最後の改元になります。
安永(『文選』「寿安永寧」)
寛正(『孔子家語』「外寛而内正」)
権中納言菅原継長(高辻家)
明和(『史記』「昭明合和万国」)
永正(『易緯』「永正其道」)
権中納言藤原綱光(広橋家)
長慶(『毛詩注疏』「教誨不倦曰長、慶賞刑威曰君也」)
仁応(『北斉書』「挙世思治則仁以応之」)
文正(『荀子』「積文学正身行」)
式部大輔菅原在治
慶治(『顔子家訓』「治家者欲一家之慶、治国者欲一国之長」)
文仁(『淮南子』「礼者実之文也、仁者恩之効也、故礼因人情而篤節文、仁発憑愛以見容」)
成功(『文選』「頌者所以游揚徳業褒讃成功」)
和元(『唐書』「陰陽大和元気已正」)
仁昭(『桓子新論』「悦我以仁昭明我名」)
明応(『漢書』「神霊之休祐福兆祥、宜因此地光域、立泰時壇以明応」)
文仁(『唐紀』「叡哲温文寛和仁恵」)
文承(『文選』「皇上以叡文承」)
個人的には「成功元年」とか結構ツボです。目出度い単語ですが、あまりにもあからさまで。しかも出典が『文選』とか。「いやいやいやいや、普通に使いますやん」という感じですね。
後花園天皇が関わった年号は以上です。寛正五年、寛正の飢饉の収束を宣言する糺河原の勧進猿楽が四月に行われ、それを見届けるように七月には儲君の成仁親王に譲位します。後土御門天皇です。その年の十二月には足利義政の弟の浄土寺義尋が義政の後継者に内定し、還俗して足利義視と名乗ります。皮肉なことに義視の存在が戦国時代を呼び込むことになるのです。