足利義稙御内書(『朽木家古文書』37 国立公文書館)
月曜日恒例の古文書入門です。
今日は「足利義稙御内書」(『朽木家古文書』37号文書)です。
御内書は将軍家の私的な用事のための書状が発展したもので、義教期あたりからいろいろな命令を伝えるものとなっており、例えば足利成氏を討て、という命令を伝える足利義政の御内書は山ほど残っています。成氏討伐に執念を燃やす義政を見ていますと、もしコシャマインが成氏と対立する立場だったら義政は全面的に援助を与えたのではないか、と思えるほどです。
しかし多くの御内書がやはり私的な内容のもので、一番目につくのが「素敵な贈り物、ありがとうな!」という内容です。
では見ていきましょう。
釈文から。
太刀一腰到来候
事、神妙候也
閏十月二日 (花押)
佐々木朽木弥五郎とのへ
読み下しです。
太刀一腰到来し候事、神妙に候なり。
見事に内容がありません。
ちなみに前の二行は違う文書です。宛先が「佐々木朽木弥五郎とのへ」と同じ人名が書いてあるように見えますが、実は違う人物です。
前の「佐々木朽木弥五郎」は義政の時代なので、朽木貞綱ですが、こちらは足利義稙なので朽木稙広(後に稙綱と改名)しています。
これは「弥五郎」という仮名(けみょう)が通り名となっているからです。朽木家は代々「弥五郎」という仮名を名乗っていたのです。
ちなみに「稙綱」のような名前は諱(いみな)といい、基本的には読むことを忌むことから「いみな」と呼ばれます。これは正式な場で呼ばれることが多く、上位者が下位者に対して呼ぶもので、したがって「義教さま」と呼びかけることは原則的にはありません。
ではどう呼ぶか、といえば官途を獲得していたら官途名乗りです。例えば細川本家は代々右京大夫(うきょうのだいぶ)を世襲していたので「右京大夫」と呼ばれます。これをドラマでいちいちやると結構面倒臭いのは理解できます。ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』では工夫がなされています。
戦国時代に入ると偉い人を「元親」と諱を呼び捨てにするのが敬意みたいになっているようで、その辺難しいです。
もっとも「上杉謙信感状」(血染めの感状)では武田信玄のことをわざわざ「武田晴信」呼ばわりしていますが、これは経緯とは異なり、蔑んでいます。
この辺は渡邊大門編『戦国古文書入門』の「上杉謙信感状」の部分を参照ください。ちなみに私の担当です。