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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

鉄道から歴史を見る!戦争と平和を走り抜けたスハネ30

yhatano.comここで書いた記事をこちらでもシェアします。

 

鉄道趣味をやっていますと、結構社会にも関わってきます。というよりも社会科の先生の中にはかなりの鉄道オタクが入り込んでいると私は確信しています。私も鉄道が好きです。

 

今日取り上げるのはスハネ30という車両です。

 

1 「スハネ」って?

ここで「スハネ」というのはどう言う意味かを簡単に述べておきます。

 

最初の「ス」は客車の重量です。軽い方から順に「ナ」「オ」「ス」「マ」「カ」と重くなっていきます。ちなみに語源は「中型」「大型」「スチール」「マキシマム」「濶大(かつだい)」から付けられている、という説が有力です。

 

次の「ハ」は等級です。もともとは一等車は「イ」、二等車は「ロ」、三等車は「ハ」でしたが、二等級制への移行で一等車が「ロ」、二等車が「ハ」となり、現在ではグリーン車が「ロ」、普通車が「ハ」です。ちなみに食堂車は「シ」、荷物車は「ニ」、郵便車は「ユ」です。寝台車はA寝台が「ロネ」、B寝台が「ハネ」です。

 

スハネ30というのは重量が37.5t以上42.4t未満の重量のB寝台車ということになります。

下の写真はスハネ30の模型です。

 

2 スハネ30の登場ー満州事変の中で

スハネ30は1931年に出来上がりました。1931年といえば満州事変が起こり、日本が長いアジア・太平洋戦争に向かっていく端緒となった出来事ですが、当時の日本ではそのような緊迫感はなかったはずです。日本が権益を持っている南満州鉄道(満鉄)を中国軍が爆破した、と思い込んでおり、生意気な中国をこらしめるだけだ、と考えていたからです。

もちろん中国の仕業にみせかけた関東軍の陰謀だったわけで、当時の総理大臣であった犬養毅はこの問題を大きくしないように動きましたが、それに不満をもった海軍の若手将校が犬養毅首相を暗殺します。5・15事件です。

国際連盟リットン調査団を派遣し、その調査の結果日本のマッチポンプである、と結論づけられました。これに日本の世論は憤激し、犬養のあとを受けて総理になった斎藤実国際連盟脱退という選択肢をとります。

 

1931年満州事変

1932年5・15事件

1933年国際連盟脱退

 

このような中スハネ30、当時はスハネ30000と呼ばれていましたが、やがてスハネ30と名前が変わります。これは国鉄の名前の付け方が変更されたからです。

 

まだ戦争が日常に影響を与えず、自分に無関係だと思っていた日本社会の中で安くで横になれる三等寝台は好評でした。幅が52cmの三段寝台はその後のエコノミークラスの寝台車の標準となりました。

 

3 戦争の激化と座席車への改造

しかし中国との紛争は長期化し、泥沼化していきます。2・26事件では陸軍の若手将校がクーデターを起こそうとし、鎮圧されますが、若手将校が属していた皇道派と対立する統制派が力を握り、陸軍の発言力が増していきます。その直前には美濃部達吉東京帝国大学教授の提唱する立憲主義の思想である天皇機関説が「不敬だ」という世論に押され、天皇機関説は弾圧されます。ちなみに昭和天皇はその時の政府の対応に不満を漏らしています。

 

1935年天皇機関説事件

1936年2・26事件

 

1937年には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発し、日本は泥沼の戦争に足を踏み入れます。1938年には国家総動員法が出され、不要不急の旅行は中止させられるようになります。そのような中、三等寝台車は廃止されることになり、1941年、スハネ30は寝台設備を撤去して座席車に改造され、オハ34と形式が変わります。

1941年アメリカとの戦争(太平洋戦争)

1945年敗戦

 

4 平和の到来と再び寝台車へ

戦時中、戦後の混乱期、この時期を黙々と普通車として旅客を運んできたオハ34ですが、戦後になって経済が復興してくると、旅行ブームがはじまります。その中で国鉄は1956年からナハネ10系列の寝台車を増備しますが、増備が追いつかず、1959年からオハ34を再び寝台車に改造する工事を始めます。

 

形式は再びスハネ30となり、車内は10系寝台車と同等としました。

 

1950年朝鮮戦争

1951年サンフランシスコ平和条約日米安保条約

1954年神武景気

1958年岩戸景気←(三種の神器=電気洗濯機・テレビ・電気冷蔵庫)

1964年東京オリンピック東海道新幹線東名高速道路開通、オリンピック景気

1965年いざなぎ景気(〜1970年)←3C(新三種の神器=車・クーラー・カラーテレビ)

 

5 スハネ30の最後

高度経済成長期の1960年代には北海道から九州まで主として夜行急行列車で活躍しました。しかし時代はさらに進歩し、3C(カー、カラーテレビ、クーラー)が新三種の神器と呼ばれるようになると、クーラーのつけられないスハネ30の活躍の場は失われます。60年代末には廃車が始まり、70年代半ばには完全に姿を消しました。

おりしも石油危機によって高度経済成長が終わりを遂げた時期でした。

1975年には山陽新幹線が博多まで開通し、多くの寝台車が余剰となります。1982年には東北・上越新幹線が開業し、10系寝台もほぼ廃車になりました。