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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

ガチ?の戦国時代研究者?が戦国ixaの武将を学術的に説明します1足利義昭

私は室町時代を専攻する歴史学研究者の端くれです。最近は戦国時代のことも勉強しています。その成果として以下の著書にも書かせていただいています。

 


考証 明智光秀

 


虚像の織田信長 覆された九つの定説

 


戦国古文書入門

 

1 戦国ixaとは

戦国ixaとは、ファイナルファンタジーなど数々のゲームで有名な株式会社スクウェア・エニックス様がやっている戦国シミュレーションゲームです。

sengokuixa.jp

プレーヤーは12名の戦国大名のいずれかに属して戦うゲームですが、詳しくは以下をご覧ください。

cache.sengokuixa.jp

2010年8月からサービスが開始され、11年目に入っています。

 

今回の大殿は「足利義昭」「本願寺顕如」「安東愛季」「南部晴政」「佐竹義重」「里見義弘」「武田勝頼」「前田利家」「雑賀孫一」「宇喜多直家」「有馬晴信」「相良義陽」となっています。「織田信長」や「豊臣秀吉」や「徳川家康」あるいは「武田信玄」や「上杉謙信」「伊達政宗」といったわかりやすい武将は今回は登場していません。前回は先程のわかりやすい武将は全て登場していましたが。

 

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ちなみに上の画像は左から雑賀孫一安東愛季・相良義陽です。

 

というわけで、戦国ixaに出てくる武将カードを片っ端から説明していきたいと思います。

 

2 足利義昭

今回は足利義昭を説明していきます。

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足利義昭天カード2021年

言わずと知れた室町幕府最後の将軍です。幕府を滅ぼしてしまった、ということもあって「ダメ人間」扱いですが、最近では見直しも進んでいます。私の印象は、評価の難しい人間、という印象です。

 

以下彼の人生をざっくりみていきます。

足利義輝の弟で室町幕府第15代将軍だワン!
将軍の権威を蔑ろにする織田信長に対し、
諸将と連携して信長包囲網を張ったワン!
歴代足利将軍の中では最も長生きしたワン!

以上です。

「これでは足りない。IXAブルの説明で済ますな、という声もあるのでもう少し詳しくみていきます。

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IXAブル

足利義昭室町幕府12代将軍足利義晴の次男として生まれました。母は近衛尚通の娘の慶寿院、同母兄に13代将軍足利義輝、 同母か異母かは分かりませんが弟に相国寺鹿苑院主周暠(しゅうこう)がいます。

彼自身当初は母の実家の近衛家と関係の深い興福寺の一乗院門跡となり、覚慶(かくけい)と名乗ります。

しかし永禄の変で兄の足利義輝と弟の周暠が殺害され、覚慶自身も幽閉されます。覚慶が殺されなかったのは、興福寺の高僧である覚慶を殺すと興福寺を敵に回すことになり、大和国に絶大な力を持つ興福寺を敵に回したくなかったから、と言われています。これが覚慶の命を助け、三好三人衆の運命を決定づけました。

覚慶は叔父の大覚寺門跡義俊(ぎしゅん)や幕臣の三淵藤英・細川藤孝・一色藤長らの手引きを受けて脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗ります。当初は近江国矢島御所(滋賀県守山市)に本拠を置いて上杉謙信らに上洛と三好三人衆及び彼らに擁立された14代将軍足利義栄の排除を呼びかけていましたが、実際問題、義昭を擁して上洛し、三好三人衆足利義栄を排除するのは面倒くさいです。乗り気だったのは三管領家の一つで河内と紀伊の境目にわずかに勢力を残していた畠山高政滋賀県南部を押さえていた六角承禎程度で、その中で義秋らは敵対していた織田信長斎藤龍興の和睦を実現させ、六角承禎と信長を連合させて上洛させよう、というものでした。しかし龍興と信長の和睦は実現せず、上洛を開始した信長に対して龍興は襲撃して信長を尾張に撃退し、六角承禎も離反して足利義栄派に寝返ってしまいます。

 このような状況を見て義秋は若狭の武田義統を頼りますが、最終的に越前の朝倉義景を頼ることになります。

 

越前に移った義秋ですが、ここで義昭と改名し、上洛するために色々と努力しますが、実際問題、挙兵して足利義栄三好三人衆を排除するのはかなり大変です。義景も当然そのようなことに力を使うのも気が進まないでしょう。我々はややもすれば「なぜこのチャンスに上洛して天下を取ろうとしない」と思いがちですが、すでに天下は三好三人衆足利義栄によって握られている、というのが正しく、それをひっくり返す一種のクーデターを起こそうというものです。

 

そのような無謀な動きに乗ってくれる人物が現れました。尾張守護代織田氏の一門である織田信長です。このころには尾張国を統一し、さらに美濃国を制圧して斎藤龍興を追放し、浅井長政との同盟を組んで尾張から近江を制圧していた信長にとってはさらに勢力圏を西に伸ばしていくには義昭を擁立して三好三人衆を排除することができる状況になっていました。義昭は越前を出て尾張に向かい、義昭を擁立した織田信長は上洛を開始して三好三人衆を排除することに成功します。摂津国に滞在していた足利義栄阿波国に退き、ここに信長による「天下布武」は成功しました。

 

ちなみに「天下布武」とは「日本を武力で制圧する」という意味ではありません。斎藤龍興を排除した段階で足利義昭を擁立し、畿内を制圧して室町幕府を再興させる、という意味です。この辺は神田千里氏の以下の本を読んでいただければ書かれています。もちろん上掲の『虚像の織田信長』の秦野担当部分を読んでいただければ大変嬉しいのですが、ネタ元は神田氏の下記の著作です。

 


織田信長 (ちくま新書)

 

足利義昭、次回に続きます。

 

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