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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

伊勢盛定と伊勢貞藤のライバル関係ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

新しいカテゴリーです。

 

ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』に触発されて伊勢宗瑞のことを調べています(実際にはそういう仕事が来たからですが)。

 

第一回目の本日はタイトルにもある「伊勢盛定と伊勢貞藤のライバル関係」です。

『新九郎、奔る!』第七巻138ページをご覧ください。

 


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そこに伊勢貞藤の発言として「(新九郎の)実父盛定殿と儂は政治的にはライバルだったからな。いや、だからと言っていがみあっていたわけではないぞ。」「あれも兄 貞親が仕向けたことであってな。」とありますが、どういうライバル関係だったのでしょうか。

 

話は寛正6年(1465)に遡ります。

 

遠江国は当時斯波武衛家が守護でした。ただ残念なことにこのころにはすでに斯波武衛家は斯波義敏と甲斐将久(かい・ゆきひさ)の対立がこじれて斯波義敏斯波義廉の対立となり、斯波武衛家は分裂していました。

 

そのようなことで遠江国でも両者の争いが響いてガバナンス不全に陥っていました。そこに着目したのが隣国駿河国の守護の今川義忠です。

 

今川家はもともとは南北朝内乱の活躍によって今川範国駿河遠江二カ国の守護になります。今川範国の子には嫡男範氏の他に貞世と仲秋がいました。貞世と仲秋が九州で武勲を立てますが、貞世は足利義満から警戒され、九州探題を解任、遠江半国守護となります。しかしその後大内義弘の応永の乱に加担した疑いをかけられ、完全に失脚し、没年もわかりません。貞世は出家名の「了俊」の方が有名です。

 

貞世の子孫は遠江国に土着しますが、遠江守護は斯波武衛家に渡ります。遠江今川家からは堀越氏と瀬名氏が出て、著名な人物に瀬名氏貞の次男の関口親永の娘の瀬名姫(築山殿)がいます。

 

その遠江今川氏の今川堀越治部少輔(範将か)が上意に叛いて土地を没収され、室町殿御料所となります。その代官に任ぜられたのが伊勢貞藤でした。

 

一方堀越治部少輔の子の今川堀越貞延は今川本家の義忠と組んで在国奉公衆の勝田(かつまた)氏や横地氏とともに所領回復を志します。この時に義忠の取次を務めていたのが貞藤の義兄(貞藤の姉の夫)であった伊勢盛定でした。

 

ちなみにこの堀越貞延・横地・勝田は今川義忠とともに第八巻で出てきます。第八巻の169ページです。

 

ちなみに141ページでは貞藤の嫡男の伊勢貞職(さだもと)が盛時(のちの宗瑞)に「ここに住み着いたらどうだ?」と気遣っていますが、貞職の子の貞辰(さだとき)とその子孫は盛時の息子の氏綱の家臣となっています。また貞辰の子の貞孝は伊勢貞宗の孫の貞忠の養子となって伊勢伊勢守家を継承しています。貞孝の孫の貞興は室町幕府滅亡後に明智光秀の家臣となり、山崎の合戦で戦死しています。