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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

日野富子の描かれ方ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

私は現在伊勢宗瑞の仕事を抱えています。そのことを弟にいうと「伊勢宗瑞なんて知っているのか」と心配されました。そこで「ゆうきまさみ氏のマンガ『新九郎、奔る!』を読んでいるからこれで完璧だ」と言っておきました。

 

実際『新九郎、奔る!』のベースの一つが黒田基樹氏の北条氏研究だと思います。

 

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もう一つ、『新九郎、奔る!』では日野富子の扱いが目を引きます。

 

『新九郎、奔る!』では第3巻51ページに初登場となっています。足利義視が伊勢から帰還してほどなく、義政と対立してしまいます。しばらくして義政のもとに呼び出された義視は「お赦しが出れば、これまで以上に尽くさねば。」と決意して義政のもとに向かいます。そこで義視が目にしたものは、以前自分を殺害しようとした伊勢貞親でした。そしてその傍には貞親の右腕の盛定もいます。そして義視がのぞこうとしている内大臣日野勝光もいます。彼は御台所の兄として義政の側近となっていました。

 

いわば義視にとっては敵のオールスターズといっても過言ではありません。義視はてきめんにメンタルをやられてまぶたが「ピク」と動いています。そこに登場するのが将軍家御台所の日野富子です。

 

彼女の最初のセリフが「開けっ放しでは寒うございます。襖を閉めてもっとこちらへ」という全く他意のなさそうなセリフです。で、実際に他意はなかったようです。義政と富子夫婦はびっくりするほど純粋で、自分は悪意がないのに周囲を振り回すという役柄です。

 

義視についてきた八郎貞興は盛定についてきた弟の新九郎を手招きで呼び寄せると「伯父上(伊勢貞親)が御出仕なさるとは聞いていなかったぞ。これでは今出川様(義視)への嫌がらせではないか」と不満をぶつけています。

 

義視は「いささか気分が優れませぬ」といい義政が「では帰って休むがよい」といった後で富子が「この後は伊勢での土産話など聞きながら酒宴と考えておりましたのに。大事になさりませ。」と送り出します。義視は「引き留めようともせぬのか」と絶望しています。

 

この直後義視は出奔、貞興はそれに巻き込まれて落命しますが、この辺は富子さんとは無関係なので割愛します。

 

富子は新九郎が奉公衆を務めた将軍足利義尚の生母ですから、この後も新九郎とは深く関わってきますが、富子の描かれ方で一番印象的なのは第7巻の45ページ以降のエピソードです。

 

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京都に疫病が流行り、伊勢弥二郎もはしかに罹患します。そして日野勝光の子もはしかで落命、これでキレた富子が義政を責めます。

 

富子「こうなる前に御所様の御力でなんとかできなかったのですか!?」

義政「人の力でなんとかできると本気で考えておるのか、御台所は?」

富子「病の兆しがあったときに速やかに遺骸を焼くなりしておればこのようなことにはならなかったはずでござります。」

義政「後知恵だ。そもそもそれは誰がやるのだ?余の奉公衆にでもやらせよと申すか?そちに言われるまでもなく疱瘡・麻疹の経験者は現場に出して骸の処理をさせておる」

 

と続きますが、その麻疹はやがて盛定の妻の須磨(作中では新九郎の義母)が亡くなり、御所では「余が止められぬ戦を病が止めておる。愉快ではないか?」という義政の軽口にキレた富子が心底あきれ、軽蔑しきった顔で「貴方様は・・・」と絶句しています。

 

結局この夫婦喧嘩は最後まで尾を引くことになりますが、この描写が富子観の大きな変化を示しています。

 

私が子どもの頃に読んでいた学習漫画集英社版『日本の歴史』ではこの疫病の時に富子は「土民の二千や三千死んでも税を出せるものはまだまだいます。どんどん取りなさい」と発言し、義政をドン引きさせています。ドン引きした義政は浄土寺を訪れ、そこに慈照寺を作ることになる、という筋書きです。

 

富子の悪女というイメージはもっぱら『応仁記』などの軍記物によるものであって、実際に足利義尚をゴリ押しして応仁の乱の原因を作った人物ではない、という見方が近年では多数派になりつつあります。もちろんそれへの批判もあって、現状学界では富子悪女説と富子冤罪説に分かれておりますが、私見では富子は冤罪であった、と思っています。

 

富子冤罪説の中心は学習院大学の家永遵嗣氏ですが、氏の論を一般書で分かりやすくまとめたのが呉座勇一氏の『応仁の乱』です。

 

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また近年の日野富子研究としては田端泰子氏の著作があります。

 

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