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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

長禄・寛正の飢饉ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

トンガの海底火山であるフンガトンガ・フンガハアパイ火山のVIE(火山爆発指数)は6と言われています。これは「並外れて巨大」「100年に一度」という状況で、近年ではフィリッピンのピナトゥボ火山(1991年)が同等の噴火規模と言われています。この噴火の結果、日本では1993年の冷夏と米不足を招きました。

 

同等のVIEを持つ海底火山の噴火として知られているのが1452年から1453年にかけて噴火したバヌアツ共和国の海底火山のクワエです。この噴火がめぐりめぐって日本では「長禄・寛正の飢饉」を引き起こした、と言われています。

 

長禄・寛正の飢饉、特にひどかったのが寛正二年(一四六一)なので私は「寛正の飢饉」と呼んでいます。

 

この年、京都では8万超えの餓死者が出て、後花園天皇足利義政漢詩を贈って義政を諌めた、という逸話があります。

 

ゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』では第1巻と第7巻で出てきます。

第1巻では17ページ〜18ページに新九郎の育ての親の大道寺右馬之介が「先の寛正の大飢饉の折も、伊勢守様は寝る間も惜しんで対策に当たられた。」といい、それに対して新九郎(当時は幼名の千代丸)が「民は京で八万人も餓死したと聞いたぞ。」と言いますが、右馬之介は「それほど手の施しようがなかったのです。無論、飢えた民は我らを恨みもしましょうが、上の者がいかほど手を尽くそうが。下賤の者どもは恨言を並べるものです。」と返し、新九郎は納得できない顔で黙り込みます。

後の北条早雲の撫民説話の伏線にもなっている話です。

 

次に出てくるのが第7巻の73ページから。

疫病の流行で手をこまねいて有効な手立てをうてない義政の政治責任を問う御台所日野富子と義政の関係は少しずつ悪くなっていきます。

 

富子「御所様は、寛正の飢饉の際も手を拱いてばかりで、先帝(後花園天皇)からお叱りを受けたではありませぬか。」

義政「お叱りを受けたわけではない。漢詩を送られたのだ。」

富子「またそのような毛づくろいを。恥入ったのではなかったのですか。」

 

寛正の飢饉の際の後花園天皇漢詩については拙著『乱世の天皇』でも取り上げています。飢饉に際して無為無策の為政者に対して漢詩を贈り、心を入れ替えさせる英邁な天皇という立場は後花園天皇の生涯の一つのクライマックスと言えるでしょう。

 

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

 

 

実際にはクワエの噴火によるエアロゾルが寛正の飢饉の直接的な結果であったか、というのはなかなか難しいかもしれません。間接的な影響は否定できないでしょうが、この寛正の飢饉の直接的なきっかけは畠山氏の内紛です。

 

畠山持国の後継をめぐって畠山義就畠山政長が対立し、畠山氏の領国である河内国が戦場となって生活に困った人々が京都に押し寄せて飢饉が引き起こされたものと考えられています。そしてその時死んだのは、京都の住民ではなく、河内国をはじめとした畿内から京都に入ってきた人々である、と考えられています。

 

寛正の飢饉の直接の引き金を引いたのは畠山氏の内紛であり、さらには畠山氏の内紛をきちんと抑えることもできなかった足利義政の失政に原因があるでしょうが、さらにその底流には海底火山噴火の影響がなかったとは言えないでしょう。

その気候変動が引き起こしたかもしれない事件として、コシャマイン戦争などもあるかと思います。この辺はまだまだ研究の余地が大きいと思います。

 

今回クワエのあるバヌアツから2000km離れたトンガで起きた噴火は、長期的には世界の気候変動に関係してくるかもしれません。

 


新九郎、奔る!(1) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(7) (ビッグコミックス)

 


乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで

 

 


新九郎、奔る! 1 (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 


新九郎、奔る!(7) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 


乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで [ 秦野 裕介 ]