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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

畠山政長と畠山義就ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

『新九郎、奔る!』における大きなイベントが応仁の乱です。応仁の乱が起きた大きな原因の一つが畠山氏の内紛です。

 

『新九郎、奔る!』でも畠山の争いが描かれています。

 

畠山義就(よしひろ)の初登場シーンは第1巻172ページで、「(文正の政変の)六年前に将軍 義政の勘気を被り、畠山家の家督を失って以来、河内や大和を転々としていた畠山義就が、義政の許可を得ぬまま上洛してきたのだった。」という説明とともに馬上で顔を見せず(笑みだけが見える)現れています。「義就の目的はただひとつ、長年 家督争いを続けてきた仇敵、従弟である現管領畠山政長を、その座からひきずりおろすことである。」と続いています。

 

畠山政長の登場シーンは179ページです。「かかって来い、右衛門佐、そのクビ、食いちぎってくれるわ。」とこっちは憤怒の形相で現れています。

 

新九郎は応仁の乱では東軍にいたので、新九郎と関係が深いのは政長の方です。第2巻98ページでは伊勢貞宗と政長と新九郎が酒を飲みながら話をしているシーンがあります。

室町御所の隣の相国寺が西軍によって制圧され、室町御所も半焼した相国寺の合戦の直後のシーンです。相国寺を取り戻さなければ東軍の生命線が危うい状況で、圧倒的な兵数の不利を押して政長が突入の決意を述べるところです。

 

貞宗右京大夫殿(細川勝元)も苦しいところだ。一刻でも早く、相国寺の陣を取り戻したいところだろうが兵の数が」

政長「だから明日俺が行くのだ」

貞宗「兵が足りまい!」

政長「徒に日を過ごしては、敵が相国寺全体を固めてしまうぞ。こちらの兵が足りぬは相手も知っておろう。ならばそこに油断が生じる。ましてや一度勢いを停めた軍勢、この俺が打ち破れぬと思うか七郎(貞宗)!?」

立ち上がり貞宗と新九郎を振り返りながら「今宵は久方ぶりに語らえて楽しかったぞ。勝って戻るからその時にあらためて酌み交わそう!」と去っていきます。

 

政長といえば応仁の乱の導火線となった上御霊の戦いで敗北していることから、基本的にしょぼい役柄となっています。

呉座勇一氏の『応仁の乱』でも「これまでの戦績を考慮すると、おそらく畠山義就は単独でも政長に勝利できた」と評されています。多分それはそうでしょう。

これは義就が非常に戦上手だったからであり、政長がしょぼいわけではないと思うのですが、その意味では『新九郎、奔る!』における政長の描写は「歴史漫画史上最もかっこいい政長」という気がします。

 

政長は第8巻75ページに再登場しています。金策に鎧を売れと迫る新九郎に「どうしてこんなせせこましい男に育ってしまったのか!」と騒ぐ父伊勢盛定、それを呆れた顔で見ている弥二郎(新九郎の弟)。そこに貞宗が入ってきて「珍しい客が来ております故」と酒の席に誘います。

 

二人が伊勢守邸に行くとそこに「珍しい客」の畠山政長が「おお、久しいな、新九郎殿。立派になられた!」と声をかけるシーンです。

 

実はそこで管領職の形骸化を示す会話がなされています。

 

貞宗尾張守殿(政長)は今度 再度の管領職に就かれる。」

新九郎「それは!まことにお目出度うございます!」

政長「数日間の間だがな。」

新九郎「なんですか、それは?」

政長「御所様(義政)が将軍位を春王様(義尚)にお譲りになる。その式典で幕府の体裁を整えるための臨時の職だよ。」

新九郎「ええっ!」(太字)

 

新九郎が驚いたのは幕府の形骸化ではなく新九郎が十二歳で元服した時にその幼さを皮肉った義政が九歳の春王に将軍を譲ることにびっくりしています。貞宗から「そんなことよく憶えているなぁ」と呆れられています。

 

 

104ページでは政長は貞宗を酒を酌み交わしながら管領なき幕府について解説しています。

 

貞宗「お主が管領を続ければよかったではないか。」

政長「俺はほら。右衛門佐(義就)をどうにかせにゃならんからな。」

貞宗「新御所様(義尚)については御台所様(日野富子)が手取り足取りなされるそうだ。俺も及ばずながら力を尽くしてお支えするつもりだが」

政長「貞親殿と違ってお主は控え目だな。新御所様の「御父様」として腕を振るう気はないのか?」

貞宗「ないことはないがな、父の轍は踏みたくないのだ」

政長「などと言いながら、従弟の新九郎殿を駿河に派遣して今川の出方を探っておるのだろう?することが手広いわ。」

 

このように新九郎陣営と和気藹々の政長ですが、最後は明応の政変貞宗に梯子を外され、自害に追い込まれます。いわば貞宗は友人を切ったことになるわけです(実際に政長と貞宗が個人的に仲良かったかどうかは不明)。

貞宗は蜷川親元に「だいぶ悪くなって参られた」とつぶやかれ(第5巻162ページ)、須磨(貞宗の叔母、盛定の正室)には「貞宗殿は頼りにもなるが、少しお気をつけなさい。あれはとんでもない狐やもしれぬ。」と言われています(第5巻172ページ)。須磨のアドバイスを受けた新九郎は「どういう意味だ?」と首を傾げていますが、このアドバイスは政長こそ聞くべきものだったのでしょう。

 

畠山義就は西軍ということもあって、新九郎との関わりは少ない状態です。猛将であったことは事実のようで、作中でも勝元が「右衛門佐(義就)のような猛犬に襲いかかられてはたまらぬからな」と言っています。

 

数少ない新九郎との関わりは、新九郎が西軍方の政所執事である伊勢貞藤(新九郎の叔父で新九郎の実母の浅茅の再婚相手)のもとに新九郎がこっそりやってきて山名宗全と碁を打つシーンです。

そこに義就と大内政弘という「西軍最強のコンビにして乱の急先鋒!」と貞藤による解説が入っています。じっと動かず、表情すら変えない政弘に対して宗全や新九郎の発言一つ一つに笑ったり怒鳴りつけたり忙しく気持ちが動いています。かなりの激情型の人物のようです。

宗全と新九郎の碁が佳境に入ってきたころ、義就は政弘を誘い出し、「あれ(新九郎)を帰せば、入道殿(宗全)の様子(病気で半身不随)があちらに細かに伝わるぞ」と持ちかけ、政弘は「では小僧を斬るか」と応じて、翌日新九郎らは襲撃されますが、貞藤につけてもらった多米権兵衛元成に救われます。

 

山名宗全の死後、宗全の孫の山名政豊と勝元の嫡男(で宗全の内孫)の聡明九郎(政元)の間で和睦が成立後、義就は「俺たちは俺たちの戦をやるだけだ!なあ兄弟!」とますます戦意旺盛、政弘も「ああ」と応じています。

 

次回のエントリでは、応仁の乱の導火線となり、ひいては戦国時代の引き金ともなった畠山家の内紛はなぜ起きたのかを説明したいと思います。

 


新九郎、奔る!(1) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(7) (ビッグコミックス)

 


応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 


乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで