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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

「どうする家康」瀬名姫のご先祖登場!ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

『新九郎、奔る!』第9集51ページに堀越源五郎義秀という人物が出てきます。これ以降この源五郎は新九郎のよき協力者として現れます。

 

今川義忠死後に駿河は真っ二つに割れます。義忠遺児の龍王丸はまだ幼く、しかも義忠は幕府からの心証が最悪という事情もあって義忠の従弟の新五郎範満が擁立されますが、遠江に近い山西(駿河の西の方)に所領を持つ朝比奈丹波守(泰熙)を筆頭に新五郎範満に対して徹底抗戦を唱える重臣がおり、そういう強硬派を抑える役割をしています。

 

義秀は伊勢貞藤や太田道灌と同年の永享四年(1432)生まれ、遠江国堀越の海蔵寺の喝食(かつじき・かっしき・かしき)をやっていました。喝食とはざっくり言えばお稚児さんです。父の堀越貞延が遠江国で勝田・横地によって戦死したあとに今川義忠によって引き立てられ、今川家重臣となりました。142ページで新野(今川家一門)から「お主は名もなき喝食だったのを亡き御屋形様(義忠)に拾ってもらった恩を忘れたか!」と詰め寄られています。それに対し冷静に「忘れておらぬ故!龍王様と御家族を守る務めがあります」と言い返しています。新野は「お主は、それでも堀越の、遠江今川の一門か!!」と言われています。

 

交渉が終わり、伊都らは駿府を範満らに引き渡しますが、源五郎は取次役として残り「言ってみればスパイですな」と新九郎に告げています。今後の活躍が期待される人物です。

 

この人物の出自については以下のエントリで述べています。

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

遠江今川氏はかつて九州探題を務め、『難太平記』(伊都いわく「今川了俊って方が書いた同人誌!」)を著した今川貞世法名了俊)を祖先とした一門です。

 

堀越源五郎はその後龍王丸派の重臣として瀬名を与えられ、瀬名一秀と改名します。この源五郎の曾孫が瀬名姫です。源五郎の孫の親永が同じく今川一門の今川刑部大輔家、関口氏に養子に入って関口親永となり、その娘が瀬名姫です。「どうする家康」では従来の瀬名姫像(家康とは政略結婚で不仲)とは異なり、家康の初恋の人で仲睦まじい夫婦となり、となっています。

 

堀越源五郎のその後の活躍にも期待したいです。

 

 


新九郎、奔る!(9) (ビッグコミックス)