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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

『新九郎、奔る!』第10集出版!ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

『新九郎、奔る!』第10集が出版されました。

 


新九郎、奔る!(10) (ビッグコミックス)

 


新九郎、奔る!(10) (ビッグ コミックス) [ ゆうき まさみ ]

 

今川義忠戦死後の今川家の内紛の収束、そしてそれに伴う伊都(義忠後室、新九郎姉、北川殿)と龍王(のちの今川氏親)の上洛、長尾景春の乱、応仁の乱の収束、新九郎の足利義尚御供衆の就任と話が動いていきます。

 

このうち私の目を引いたのは伊都らの上洛です。これは黒田基樹氏(本書の「協力」として名前が上がっています)の説です。龍王の姉(作中では亀)が正親町三条実望に嫁いだことから、彼女らが駿河にいたとは考えられない、という所説です。

 

そのきっかけとして今川範満サイド(範満本人は知らない、福島修理亮があやしい雰囲気を出している)による伊都・龍王暗殺未遂が描かれています。これは本書におけるフィクション部分ですが、話としてうまく繋がっていっていると思います。

 

一方、関東では山内上杉氏家宰の長尾景信死後の家宰の地位は、嫡男の長尾孫四郎景春ではなく景春の叔父の長尾忠景が継承することとなり、それに不満を募らせた景春が最終的に挙兵する長尾景春の乱が描かれています。

 

長尾景春の乱は新九郎にとって大きな意味を持ちます。だからこそここまで景春の鬱屈やそれを導いた上杉顕定、そして新九郎とも因縁の関係となる太田道灌が活躍しているわけです。

 

そして応仁の乱の終焉。伊勢貞宗大内政弘を抱き込んで西軍の切り崩しを進め、ついに足利義視と政弘が日野富子献金する形で足利義政への取りなしを頼み、畠山義就は京都から撤退、河内国に攻め込み、政弘は帰国、義視は美濃国に没落していきます。

 

鴨川を渡る時に義視が「停めてくれ」「最後にもう一度だけ都を見ておきたい」と輿を停めたところに新九郎が「今出川様!!」「この川を渡る時に思い出すことがござりませぬか!?」「あなたは・・・人の上に立つべき人ではなかった!」と呼び掛けます。新九郎の兄八郎貞興はかつて義視に仕え、義視をかばって非業の死を遂げています。新九郎としてはその後西軍に投じた義視を許せず、「あの人には言いたいことがある」と言い続けて大道寺太郎や伊勢貞宗を呆れさせています。

詳しくはこの記事をご参照ください。

 

sengokukomonjo.hatenablog.com

 

 

しかし彼はのちに義視の子の義材(義尹・義稙)に仕えています。その時の新九郎と義視の絡みが今から楽しみです。

 

扇谷上杉定正も「五郎」から相模守護、修理大夫と出世していますが、どことなく実直そうな様子は相変わらず、道灌を頼りにし、道灌の暴走をフォローする役回りを演じています。この定正と道灌の関係の破綻が龍王と新九郎、そして今川範満の運命を大きく変えるだけに、定正と道灌の関係が今後どのように描かれるのかも楽しみです。

 

そして最後に義尚の御供衆となって細川聡明丸邸への義尚の御成に従う新九郎、彼のキャリアのスタートで、その後彼は幕臣として40歳前後まで活動します。彼の64年の人生のうち、その2/3は申次衆や奉公衆という幕臣としてキャリアを積み重ねてきたのです。

そしてこの細川聡明丸、のちの政元は新九郎にとっては頭痛の種となります。政元が殺害される永正の錯乱まで新九郎は政元に苦しめられ、政元の死によって新九郎の関東での動きは活発化していきます。

 

こうした史実を念頭に置いて聡明丸が新九郎に語った「我の機嫌を取れ。後々いい目を見させてやるぞ」という言葉はなかなか重い伏線となっています。

 

しばらく第10集におけるさまざまなシーンについて、解説をしていきたいと思います。