記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。 Copyright © 2010-2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

堀越公方足利政知の暗い情熱ーゆうきまさみ氏『新九郎、奔る!』を解説する

4月12日に『新九郎、奔る』最新刊の13巻が発売される、ということで少しばかり焦っています。新しい仕事に1年前について以来、なかなかブログを書く力が残っていない、というのが現状です。

 


新九郎、奔る!(12) (ビッグコミックス)

 

 

12巻の78ページに「「公方」とは名ばかりの堀越公方 足利政知の心中に暗い情熱が灯りはじめている」とあります。

 

上杉顕忠(関東管領)と足利成氏古河公方)が和睦に向けて動いているという「噂」を入手した政知が焦っています。

 

一応解説しておきますと、古河公方足利成氏は20数年にわたって上杉氏とその背後にいる室町公方と抗争してきました(享徳の乱古河公方を抑えるために足利義政が送り込んだのが庶兄の政知です(第8巻参照)。従って上杉氏と古河公方、ひいては室町公方と古河公方が和睦すれば堀越公方の存在価値はなくなります。

 

8
新九郎、奔る!(8) (ビッグコミックス)

 

 

結局両者の和睦「都鄙合体」(戦国IXA足利成氏のスキル名がこれです)が実現した時、堀越公方伊豆国一国のみを与えられ、かろうじて存続します。

 

政知はその「暗い情熱」を関東から室町幕府そのものに向けます。彼は次男を上洛させ、天龍寺香厳院に入れます。政知自身がかつて在籍していた寺です。

 

さらに彼のバックに細川政元を付けることに成功します。政元のバックアップのもと政知は次男の香厳院清晃を将軍の候補者につけようとします。

 

しかしこれは失敗します。義政と富子は足利義視の息子の義材(後の義稙)を将軍候補とし、義政の死後、義材は将軍となります。

 

富子は清晃に小川殿を引き渡しますが、これが義視と義材の反発を買い、小川殿は破却されます。これで富子は義材派から清晃派に離反します。さらに伊勢貞宗の支持も失いましたが、義材はそのことを悟らず、畠山政長のバックアップのもと、将軍権力の強化を図ります。

 

政元・富子・貞宗は清晃を擁立し、義材と政長を追い落とすクーデタを仕掛けます。これが「明応の政変」です。その後将軍家は二つに分裂し、日本は戦国時代に本格的に突入していくことになります。

 

清晃は11代将軍足利義澄となりますが、逃亡した義稙が大内義興細川高国をバックに復帰し、義澄を追放します。

義稙が細川高国と対立し阿波国に追放されて代わりに将軍についたのは義澄の遺児の義晴でした。しかし義晴は兄弟で義稙の後継者となった義維と対立、義晴の子の義輝は義維及びその子の義栄をかついだ三好氏に暗殺され、その後は義晴の子の義昭が最後の室町将軍になります。

 

室町幕府の最後を飾った将軍たちは政知の子孫だったのです。政知は自分の子孫が室町幕府の将軍を継承したことを知らずに亡くなりました。

 

彼は自らの後継者を義澄の同母弟の潤童子に決め、腹違いの長男の茶々丸を廃嫡します。彼は室町公方と堀越公方の双方の父親になろうとしたのです。

 

室町公方の父親になることには成功しましたが、堀越公方の父親になることは失敗しました。茶々丸がクーデタを起こし、潤童子とその母を殺害したのです。

 

明応の政変で政権を掌握した義澄は自らの母と弟を殺害した怨敵の茶々丸討伐を幕府申次衆で堀越公方奉公衆や今川氏の一門衆を兼ね、駿河国に所領を持っていた伊勢盛時に命じます。

 

その後伊勢盛時とその子孫は関東を制覇する後北条氏となるのはよく知られた話です。

 

126ページに「関東の情勢は複雑怪奇 「龍王を当主の座につけたら二度と近づくまい!」と、心に誓う新九郎であった」とあります。しかし実際にはこの茶々丸討伐を契機に盛時は関東の情勢に飲み込まれていくのです。

 

ちなみにこの過程のなかで太田道灌と上杉政憲が巻き込まれ、死んでいきます。彼らの死は今川範満の非業の死に繋がっていきます。ちなみに範満の甥のうち、小さい方は今川氏親龍王)の一門として遇されます。