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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

後花園天皇の生涯−永享五年七月一日〜十二月三十日

看聞日記

七月十二日、祈雨奉幣

師郷記

十八日~二十七日、永享の山門騒動、延暦寺の強訴や馬借の入洛に備え、源氏物語などを火災に備えて貞成親王に預ける。足利義教、もし神輿が内裏に侵入の際には動座を奏上

看聞日記、師郷記

閏七月三日、馬借京都に侵入

師郷記、看聞日記

六日、勅書を貞成親王に賜い、その病(瘧-マラリア)を見舞う

看聞日記

十日、別殿行幸

師郷記

この日、山門強訴に備え、内裏を逆茂木で防衛し、畠山持国、山名時熙、細川持之、斯波義淳、赤松満祐に警固を命じる。二十六日にひとまず解決

看聞日記、管見記、師郷記

八月一日、北野神輿迎を延引、山門強訴に伴い末寺が閉門のため

師郷記

六日、故権大納言三条公雅に贈内大臣従一位の宣下

師郷記、看聞日記、続史愚抄

七日、釈奠

薩戒記

九日、左大臣足利義教、右近衛大将を辞任

看聞日記、薩戒記

十五日、石清水八幡宮放生会

薩戒記、師郷記、東寺執行日記

十六日、駒牽、雨儀

薩戒記、師郷記、続史愚抄

十九日、貞成親王源氏物語・御葛を返却

看聞日記

二十二日、別殿行幸

師郷記

二十五日、勅撰和歌集である『新続古今和歌集』の撰進を飛鳥井雅世に命ず。後小松法皇院宣後花園天皇の綸旨かという議論があったが、足利義教の意見で後花園天皇の綸旨による、という体裁が取られた。

看聞日記、薩戒記、師郷記、続史愚抄

二十七日、北野祭、同臨時祭

師郷記

九月三日、初めて御灯

師郷記

この日初めて後小松法皇に和歌を進上、返歌あり

看聞日記

四日、元服後初めて内侍所に行幸

看聞日記、師郷記

九日、和歌会始、当代初度、この日重陽節句、平座

看聞日記、薩戒記、師郷記

十日、伊勢外宮立柱上棟日時定

師郷記

十一日、伊勢例幣、御拝

師郷記

二十七日、内侍所臨時御神楽、後小松法皇重態により平癒祈祷、出御、御拝

看聞日記、師郷記、御神楽部類、続史愚抄

十月一日、旬、平座

師郷記

五日、別殿行幸

師郷記

十四日、貞成親王に和歌抄物を求め、詠歌口伝秘抄、詠歌大観

、和歌十体抄、僻案抄、無名抄を進奏

看聞日記

十九日、御製について仰せ下さるる旨あり

看聞日記

二十日、後小松法皇崩御

看聞日記、管見記、師郷記

二十二日、諒闇のことは未定

看聞日記

二十五日、後小松法皇諒闇決定

看聞日記、管見記、師郷記

二十七日、後小松法皇葬礼、後小松院遺詔奏、固関警固、廃朝、来月の諸社祭停止

管見記、師郷記、続史愚抄

三十日、東洞院の仙洞御所で後小松院初七日の仏事

管見記、続史愚抄

十一月三日、仙洞御所で後小松院二七日、誦経使を七箇寺に遣わす(常住寺・仁和寺・東寺・西寺・浄金剛院・天龍寺泉涌寺

管見記、薩戒記、師郷記、続史愚抄

六日、御錫紵の儀、倚盧に渡御

看聞日記、管見記、薩戒記、師郷記、続史愚抄

十日、後小松院三七日

薩戒記、師郷記、管見

十六日、後小松院四七日

薩戒記、師郷記、管見記、続史愚抄

十八日、倚盧より本殿に還御、開関解陣

看聞日記、管見記、師郷記

二十四日、後小松院五七日、誦経使を立てる、七僧法会

管見記、薩戒記、師郷記

十二月六日、後小松院七七日、曼荼羅供、この日誦経使を発遣

師郷記

十一日、月次祭、神今食延引

師郷記

十二日、音奏警蹕、旧院素服除服等の宣下

師郷記

この日熱田社領を貞成親王の知行とする

十五日、月次祭、神今食を追行、この日、小御所で撰集和歌事始の儀

管見記、師郷記、看聞日記、続史愚抄満済准后日記

十八日、節分、別殿行幸

師郷記

十九日、貞成親王に弘長百首七巻を進上させる

看聞日記

二十一日、足利義教の計らいで旧院御所に伺候していた左衛門督(勾当内侍の姪)と右衛門督(故典侍尼の姪)が内裏に伺候

看聞日記

二十四日、京官除目を延引

管見

二十七日、京官耳目を追行、当代初度、この日清涼殿東庭で貢馬御覧

管見記、師郷記、続史愚抄

二十九日、追儺

師郷記

この月内侍所御神楽を停止、諒闇のため

師郷記、続史愚抄