記載されている会社名・製品名・システム名などは、各社の商標、または登録商標です。 Copyright © 2010-2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

後花園天皇ノート

拙著『乱世の天皇』の装丁が出来上がりました

拙著『乱世の天皇』(東京堂出版)の装丁が出来上がってきました。 東京堂出版様のサイトから見ることができます。 www.tokyodoshuppan.com ご担当くださったのがここの常松靖史様です。 tune09.sakura.ne.jp 実は私は出版の本をいくつか購読していまして、…

拙著『乱世の天皇』見どころ4ーアンチヒーロー

今日は何の日、後小松天皇の誕生日だそうです。 拙著として7月末に出版予定の『乱世の天皇』(東京堂出版)の見どころ紹介です。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 後小松天皇はどんな人でしょうか。詳しくは過去ログをご覧ください。 sengokukomonjo…

拙著『乱世の天皇』見どころ3ー室町時代のヒーロー

拙著『乱世の天皇』関連のネタです。室町時代のネオヒーロー(阪神タイガースのアンディ・シーツの応援歌)を提案しようと思っています。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 今谷明氏の『謎解き中世史』という本があります。 謎解き中世史 この中で永井…

拙著『乱世の天皇』見どころ2ー嘉吉の乱

考えてみれば今日、6月24日は嘉吉の乱の日でした。というわけで慌ててアップします。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 嘉吉の乱をざっくり説明しておくと、六代将軍足利義教が播磨・美作・備前守護職であった赤松満祐に暗殺された事件です。 足利…

拙著『乱世の天皇』見どころ1ー禁闕の変は後南朝復興運動ではない

拙著『乱世の天皇』見どころのご案内です。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 禁闕の変をご存知でしょうか。 こちらでアウトラインを紹介しています。 sengokukomonjo.hatenablog.com もっと手短にまとめますと、後南朝の皇胤である金蔵主と通蔵主、後…

拙著『乱世の天皇ー観応の擾乱から応仁の乱』(東京堂出版)刊行のお知らせ

拙著が発売されます。 乱世の天皇 観応の擾乱から応仁の乱まで 皇統の分裂を引き起こした後嵯峨上皇による後深草天皇から亀山天皇の譲位を皮切りに天皇家は自律性を失い、幕府を倒壊に追い込み、日本社会を動乱に巻き込みました。その余波は足利義満による統…

後花園天皇の死後の内紛?般舟院のスペックが半端なくすごかった?

久しぶりの更新です。 昨日オンライン日本史講座で泉涌寺について話していたのですが、思いっきり参考にした久水俊和氏の『中世天皇葬礼史』(戎光祥出版、2020年)で般舟三昧院について書いてありました。 そこで久水氏は後花園天皇の仏事をめぐる般舟…

意外な西軍贔屓

久しぶりの「後花園天皇ノート」です。 日野富子が息子の足利義尚を将軍にしようとして山名宗全に接近し、応仁の乱の端緒を作った、という話はしばしばなされます。『応仁記』に記されていますが、『応仁記』の記述については近年では疑問も出されています。…

後花園天皇から成仁親王への手紙

後花園天皇の皇子はどんな人?父帝との関係は?調べてみました。 後花園天皇には皇子が一人しかいませんでした。嘉楽門院大炊御門信子所生の成仁(ふさひと)親王です。母親の大炊御門信子は実際には大炊御門家の姫ではなく、地下の楽人の娘です。医師の和気…

後南朝の歴史

皇居を放火して玉体を狙い奉り、あまつさえ三種の神器を奪って逃走した禁闕の変の犯人の日野有光。彼の経歴は?家族は?背後関係は?調べてみました。 日野有光という人は日野家の当主です。 日野家と言いますと我々は足利将軍家の外戚となった日野富子とそ…

後花園天皇をめぐる人々ー広橋兼郷

追記:この記事を基にして『研究論集 歴史と文化』第5号に「後花園天皇と貞成親王の関係についての基礎的考察」を掲載させていただきました。 後花園天皇と父親の伏見宮貞成親王の間を引き裂くようなデマを言いふらして失脚した広橋兼郷、行動が少し怪しい、…

ハイホー!7dと足利義教

ハイホー!7d、と言っても分かっていただけない方が多いと思います。ディズニージュニアで放映している「白雪姫と七人の小人たち」のスピンオフ番組です。若き七人の小人たちがしあわせ女王様を魔法使いのヒルディ・グリム夫妻から守る、という話です。 『…

祝!後花園天皇生誕600年その1

『看聞日記』応永26年6月17日条を見てみます。 十七日。雨降。(中略)抑二条局産所ニ出〈庭田〉。則平産〈寅刻〉若宮云々。尤珍重也。面々賀申。三位則御盃持参。 これは『後花園天皇実録』には次のように「按」があります。 御降誕ノ日次、看聞御記ニ…

後花園天皇をめぐる人々−細川持之、後花園天皇綸旨発給の決断

嘉吉の乱で足利義教が弑殺され、細川持之が幕政を掌握することになりましたが、持之の優柔不断、無能ぶりが強調され、綸旨を出して嘉吉の乱を終わらせた後花園天皇の引き立て役になっている、というイメージがあります。 しかし実際には持之はかなり果断に嘉…

室町時代に伏見に飛来したペリカン

こんな記事を見つけました。 www.ndl.go.jp ここのペリカンの説明によると永享2年に京都伏見の舟津で捕らえられたのが日本における最古の記録、ということで、後花園天皇と貞成親王に関することには食いつく拙ブログとしてはこれは触れないわけにはいきませ…

後花園天皇をめぐる人々−細川持之、嘉吉の乱に翻弄された悲運の管領

久しぶりの「後花園天皇をめぐる人々」です。 今日取り上げるのは「決められない政治」の象徴と某公共放送でレッテルを貼られてしまった細川持之です。これは某公共放送だけでなく、多くの先学がそう行っているので、通説に従う限り、細川持之は「決められな…

足利義教と後花園天皇のどちらが上だったのか

久しぶりの歴史雑記帳です。令和改元便乗企画である後花園天皇の改元が終わりましたので、平常運転で「後花園天皇ノート」をはじめとした「歴史雑記帳」をお送りいたします。 表題の「足利義教と後花園天皇のどちらが上だったのか」という問題ですが、一言で…

昔の改元の時の候補とその出典を見てみよう4−文安から宝徳へ−

平成から令和への改元に便乗した企画です。平成最後の改元便乗企画となります。次回の宝徳から享徳への改元が令和最初の改元便乗企画です。後花園天皇はかなり改元を好んだようで、改元すると支持率がアップでもしたかのようです。 文安六(一四四九)年、四…

昔の改元の時の候補とその出典を見てみよう3−嘉吉から文安へ−

平成から令和への改元に便乗した企画、後花園天皇の時期の改元の出典を見ようという企画です。一体どのような改元案が、どのような出典に基づいて出されていったのか、ということを見ることで、間も無くとなった改元がより身近に感じられると思います。 この…

昔の改元の時の候補とその出典を見てみよう2−永享から嘉吉へ−

改元便乗企画です。今回は永享から嘉吉への改元を取り上げます。 永享十三(一四四一)年は干支が辛酉に当たりますが、辛酉の年は天命が改まる時で、革命が起こるので改元するという習わしになっていました。これを辛酉革命説といいます。神武天皇の即位の年…

後花園と後土御門の化粧

昔の偉い人の顔は化粧をしているのはご存知なことと思います。 少弐景資「竹崎季長絵詞」 これは文永の役で竹崎季長を見送る少弐景資ですが、しっかり顔に白粉を塗り、口紅をさしてお歯黒をしているのが見えると思います。ちなみにこの日景資は征東左副都元…

称光天皇の追号について

称光天皇の追号が「称徳天皇」と「光仁天皇」から一字ずつ採った、というのは基本的には疑うべくもない事実である、と言ってよいでしょう。なぜかといえば、当時学識ナンバー1と言われた一条兼良が書いているからです。しかも兼良は称光天皇の追号の決定に…

称光天皇の追号の由来

今日は称光天皇について考えてみました。 称光天皇は我らが後花園天皇の一つ前の天皇です。皇女は残せたのですが、皇子を残せなかったため、あえなく皇統が断絶してしまいました。 後小松はそこで伏見宮家から養子を迎えて皇統を存続させることを選択します…

後花園天皇宸翰消と足利義教自筆御内書2

前回見てきました後花園天皇宸翰消息および足利義教自筆御教書(熱田神宮宝物館所蔵)の解説です。 前回のエントリはこちらになります。 sengokukomonjo.hatenablog.com これについては『看聞日記』永享五年十二月十二日条にいろいろ書いてあります。 十二日…

後花園天皇宸翰消息と足利義教自筆御内書

熱田神宮所蔵の後花園天皇宸翰消息と足利義教自筆御内書を見に行ってきました! その感想について述べてみます! 現物の写真は下記のサイトで見ることができます。 www.atsutajingu.or.jp まずは後花園天皇宸翰消息から見ていきます。画像はリンク先をご覧く…

伏見宮家に伝わった鮭昆布公事について−『青森県史資料編中世4』の誤ち

追記:引用文中「直明王」が「直明ラオウ」になっていましたので訂正しました。「直明ラオウ」ってんなんだよ。直明王は義教に所領没収された時に「我が人生に一片の悔いなし」と叫んだことからそう呼ばれている(嘘松) 『青森県史』は個人的には非常に素晴…

後花園天皇と同世代の人たち

今年(2019年)は後花園天皇の生誕600年です。ごく一部の後花園天皇ファン以外にはどうでも良い情報ですが、生誕600年です。 1419年生誕ということは、応永の外寇の年です。 彼らの同時代にどういう人がいるのか、ということを調べてみました…

後花園はなぜ後花園なのか3

後花園はなぜ後花園なのか。 前回までの話をざっくり言いますと、 後花園天皇の侍読であった高辻継長が「後文徳」「後花園」を提出。 多数派が「後文徳」を推す。「文道聖徳」ということが理由。「後花園」に関しては「花園」に由緒のないこと、花園天皇の子…

後花園はなぜ後花園なのか2

(2019年2月24日追記。『親長卿記』における「以先後之佳躅可為当代之規範歟、而後醍醐院難被准吉例哉」の訳を少し変えています。) (同日追記。ウィキペディアの「諡」の欄に当エントリで紹介した『親長卿記』が取り上げられています。) 諡 - Wiki…

後花園はなぜ後花園なのか

いきなり「ロミオとジュリエット」的(適当)なタイトルですが、「後花園天皇はなぜ後花園天皇なのか」ということを考えたいと思います。 これを理解するためには、前提として諡号(しごう)と追号(ついごう)と加後号(かごごう)の違いを理解しなければな…