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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

拙著『乱世の天皇』見どころ8ー天皇家の名前

拙著『乱世の天皇』の読み仮名の苦労を前エントリでしましたが、天皇家の諱(いみな)は結構苦労することが多いです。

 

茂仁(とよひと)=後堀河天皇

秀仁(みつひと)=四条天皇

豊仁(ゆたひと)=光明天皇

幹仁(もとひと)=後小松天皇

成仁(ふさひと)=後土御門天皇

方仁(みちひと)=正親町天皇

 

このあたりは難読でも上位に来ると思います。

 

で前回のエントリで後花園天皇の祖父にあたる栄仁親王をどう読むか、というネタを入れ忘れていました。というか、もともと前回のエントリはこれが話の中心だったのですが、いろいろ書いているうちに本当に書きたかったことを書き落としていたことに先ほど気づいて新しいエントリとして立ち上げました。

 

栄仁親王は「よしひとしんのう」と入れれば、だいたい二番目に出てくるのではないか、と思います。一番目はもちろん「嘉仁親王」(大正天皇の諱)です。で、多くの本では「よしひとしんのう」とふりがながついているはずです。

ところが飯倉晴武氏の『地獄を二度も見た天皇 光厳院』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)では次のように書かれています。

栄仁の読みは明治初期作成の『伏見宮系譜』に「ヨシヒト」と付けられ、それが広まったが、東山御文庫所蔵『立親王次第』に「賜御名字」として「栄仁 」に「ナカ、中」と注記されているので「なかひと」が正しい。

 従って拙著では「なかひと」と読むことにしました。桃崎氏は「ながひと」と読んでいますが、とりあえず飯倉氏に従うことにしています。

 

光範門院から取り上げられた干鮭と昆布の公事を足利義教から拝領した常盤井宮明王ですが、これは「なおあきらおう」と読んでいます。

常盤井宮家の初代が恒明(つねあきら)親王であることから、その子孫も「明」を「あき」ではなく「あきら」と読んでいたであろうと考え、「なおあきら」を採用しました。その結果弊ブログには「直明ラオウ」という、北斗の拳に出てくるキャラクターが出現しています。

 

読みではなく、漢字の表記で難しいのは伏見天皇の諱の「熈仁」(ひろひと)です。これ、「コトバンク」に収められた辞書では「熙仁」(ひろひと)と表記されているので私も悩みました。「熈仁」ではウィキペディアに従うことになりますから。

こういうのはご本人に聞くのが早いです。京都国立博物館所蔵の「伏見天皇宸翰願文」の写真が我が家にあります。京都国立博物館特別展図録『宸翰 天皇の書 御手が織りなす至高の美』に収載されています。はっきりと「熈仁」と書いてあります。というわけで今回のウィキペディアvsコトバンクウィキペディアの勝ち。

 

他に山国荘(やまぐにのしょう)にある「山国陵」(やまくにのみささぎ)というのも面倒くさいです。ちなみに後花園天皇はその意図としては「山国陵」に埋葬されたはずですが、後世になって政府が光厳天皇を歴代から外しついでに後花園天皇光厳天皇の御陵を名前だけ別物にしてしまったため、今日では「後山国陵」(のちのやまくにのみささぎ)としています。この辺は宮内庁に従っています。

 

面倒くさい案件としては天皇の代数があります。

巻頭の天皇家系図ではわざわざ「宮内庁に従う」と注記をしています。「お前は神武天皇などを実体化するのか」という問題もありますが、直接的には、後花園天皇自身は自分を104代天皇と考えていたわけです。だから単純に「102代後花園天皇」と書くのは妥当を欠きます。

 

2代分のズレは次のようにして出来上がっています。

 

初代神武から14代仲哀までは現行と変わりません。ところが大正15年の「皇統譜令」によって15代天皇神功皇后(神功天皇)が削除され、一代少なくなります。

 

次に38代天智天皇、39代天武天皇とされていましたが、明治3年に壬申の乱で死去した大友皇子が新たに代数に加えられ、39代弘文天皇となり、天武天皇以降は一代繰り下がります。

 

次に46代天皇孝謙称徳天皇は途中に大炊王に譲位しますが、のちに大炊王は廃され、廃帝、のちに淡路廃帝と名前が変わりますが、明治3年に淳仁天皇として歴代に入れられ、二代繰り下がります。つまり46代孝謙天皇だったのが、46代孝謙天皇・47代淳仁天皇・48代称徳天皇となったのです。

 

さらに84代順徳天皇・85代後嵯峨天皇だったのを、85代に仲恭天皇を入れます。

 

さらに現在は96代後醍醐天皇・97代後村上天皇・98代長慶天皇・99代後亀山天皇となっていますが、これは後花園天皇のころには96代後醍醐天皇・97代光厳天皇・98代後醍醐天皇重祚・99代光明天皇・100代崇光天皇・101代後円融天皇・102代後小松天皇・103代称光天皇・104代後花園天皇と数えていました。

 

こういうことをグダグダ書いても読む方はしんどいだけかな、と思ってオミットしていますが、本当はこういうところをしっかりしておかないといけませんね。

 


地獄を二度も見た天皇 光厳院 (歴史文化ライブラリー)