妙心寺と花園天皇と瓢鮎図の動画
12月5日のオンライン講座の動画です。
テーマは妙心寺と花園天皇です。他に瓢鮎図や快川紹喜についても話しています。
https://www.youtube.com/channel/UCmRA_sH2-28A6u0CGso6cZA
1335年、花園上皇は花園御所(離宮萩原殿)を臨済宗の禅寺(妙心寺)とした。花園天皇は両統迭立時代の持明院統の天皇で、皇太子は大覚寺統の後醍醐天皇である。花園天皇は後醍醐天皇と同様に繋ぎの天皇と位置付けられており、院政を行うことはなかった。持明院統の次期天皇は甥の量仁親王(崇光天皇)に決まっており、花園天皇は譲位した後、量仁親王のために「誡太子書」を書いた。今上天皇は皇太子時代「誡太子書」に感銘を受けたという。
禅の公案を描いた瓢鯰図は、妙心寺の塔頭・退蔵院の所蔵。室町幕府の四代将軍足利義持の命によって如拙が描いた。妙心寺は応仁の乱で伽藍を焼失するが、六祖雪江宗深の尽力により復興、三十五世太原崇孚(雪斎)は弟子栴岳承芳(今川義元)の軍師として活躍した。戦国時代には武将の信仰を集め、江戸時代に大いに栄えた。
「瓢鮎図」の謎―国宝再読ひょうたんなまずをめぐって (ウェッジ選書)
足利義持:累葉の武将を継ぎ、一朝の重臣たり (ミネルヴァ日本評伝選)