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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「日本通史の決定版」発売に便乗してみる

日本通史の決定版と銘打った本が大評判(いろんな意味で)。 ここは一発『天皇紀』でも執筆して儲けるか。 というわけで出版企画書を書いてみた。 (最後のオチは立命館アジア太平洋大学の学生さんはわかるんじゃないかな。基本は最後のオチにつなげるネタで…

「正統」思想はいつ始まったか

「正統」(しょうとう)思想は室町時代特有の皇位継承原理です。 天皇系図を幹と枝葉で区別し、幹を「正統」とし、枝葉を非「正統」の天皇と区別し、「正統」の天皇の子孫が永続する、と考えます。 もちろん皇位継承がスムーズに行われている場合は「正統」…

「正統」について

北畠親房の主著「神皇正統記」をこのブログを読んでいらっしゃる方の多くはご存知だと思います。読みが「じんのうしょうとうき」であることもここで改めて書く必要もないとは思います。 この書名は「神皇」の「正統」を記すために南朝方の重鎮の北畠親房が書…

称光天皇の重病に際しての後小松上皇と足利義教の交渉

称光天皇が重病に陥ったのは正長元年七月六日の夕方です。万が一のこともある、と典薬頭の丹波幸基(『満済准后日記』では「行基」)が報告しています。八日には小倉宮(後亀山天皇皇孫)が逐電しました。十一日には管領畠山満家が義教の意向を満済の下に持…

後花園天皇をめぐる人々ー一休宗純

いわずとしれた一休さんです。♪「好き好き好き好き好き好き」の一休さんです。テレビアニメが懐かしいです。 一休が後小松天皇の落胤である、というのはどの程度信ぴょう性があるのか、と言う問題ですが、島津氏のご先祖が源頼朝の落胤である、というよりは…

後花園天皇の生涯−宝徳四年(享徳元年)正月一日〜十二月晦日

宝徳四年正月一日、四方拝、御薬供、元日節会師郷記、清贈宗賢卿記、続史愚抄二日、御薬供、殿上淵酔師郷記、続史愚抄三日、御薬供師郷記、続史愚抄七日、白馬節会、別殿行幸師郷記、続史愚抄八日、後七日御修法、太元帥法東寺執行日記、続史愚抄十一日、県…

後白河天皇聖忌の意味

宝徳三年三月十三日は後白河天皇聖忌ということで長講堂で御経供養が行われ、後花園天皇の側近の坊城俊秀(嘉吉の乱の綸旨の奉者)が派遣されています。 どの天皇の記念日を取り上げるか、というのは極めて政治的な意味合いを含みます。そもそも全ての天皇の…

後花園天皇の生涯−宝徳三年正月一日〜十二月三十日

宝徳三年正月一日、四方拝、御薬供、元日節会師郷記五日、叙位師郷記七日、白馬節会師郷記八日、後七日御修法、太元帥法東寺執行日記、続史愚抄十一日、県召除目延引続史愚抄十六日、踏歌節会師郷記二十九日、内侍所御神楽追行、昨年末五体不具穢による師郷…

後花園天皇の生涯−宝徳二年正月一日〜十二月三十日

宝徳二年正月一日、四方拝、小朝拝、御薬供、元日節会康富記、師郷記二日、御薬供、殿上淵酔康富記、師郷記三日、御薬供師郷記五日、叙位延引康富記、師郷記六日、叙位を追行康富記、師郷記七日、白馬節会康富記、師郷記八日、後七日御修法、太元帥法東寺執…

常盤井宮恒興王への親王宣下

宝徳元年十月二十三日、『康富記』には次のような記載があります。 今夜法親王宣下也。勧修寺宮令蒙此宣給。太上法皇之御養子也。実者常磐井宮御子也。元令任大僧都給云々 彼は諱を恒興といい、1431年に直明王の第二王子として生まれ、1509年に遷化…

後花園天皇の生涯−文安六年(宝徳元年)正月一日〜十二月三十日

文安六年正月一日、四方拝、小朝拝、御薬供、元日節会出御、敷政門院のことにより国栖歌笛停止師郷記、続史愚抄二日、御薬供、殿上淵酔は停止師郷記三日、御薬供師郷記五日、叙位師郷記七日、白馬節会、出御、但し立楽を停止師郷記八日、後七日御修法、太元…