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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『東北太平記』に登場する後花園天皇

2020年7月31日追記 拙著『乱世の天皇』(東京堂出版)発刊に伴い、拙著の関連エントリとして少し手を加えてご紹介します。 本書第八章「後花園天皇の時代の海域アジア」4「北アジア」の項目です。 www.tokyodoshuppan.com 『東北太平記』は江戸時代…

『東日流外三郡誌』に登場する後花園天皇

(追記)2020年7月31日更新しました。 拙著『乱世の天皇』第八章「後花園天皇の時代の海域アジア」の4「北アジア」の項目です。拙著では本筋ではないためにあっさりと記していますが、結構調べています。 www.tokyodoshuppan.com 世の中にはパチモン…

後花園天皇は鮭がお嫌いのようです

追記 この記事については論文にしています。『研究論集 歴史と文化』第4号、2019年6月刊です。図書館に入れるようにお願いしたら却下されましたので、図書館にはありません( ;∀;) 下記で入手できます。 historyandculture.jimdofree.com 後花園天皇…

後花園天皇の生涯−永享四年正月一日〜十二月三十日

永享四年正月一日、四方拝停止、小朝拝、元日節会、出御 師郷記、看聞日記、続史愚抄 二日、殿上淵酔、出御 看聞日記 五日、摂政二条持基の直盧で叙位 看聞日記、師郷記、続史愚抄 七日、白馬節会 看聞日記、満済准后日記、師郷記 八日、後七日御修法、太元…

烏丸資任について

烏丸資任(1417〜1483)という人物について、少し考えて見ました。 京都の人は「からすま すけとう」と読みたくなるかもしれませんが、人名としては「からすまる すけとう」と読むようです。「烏丸」を「からすまる」と読むのは京都人の何かが邪魔を…

卞孝文と畠山持国のやりとり秘録

実は先の史料は通信使卞孝文の国王世宗への報告です。卞にとって都合の悪いところはバッサリ切られています。36年後、随行員の一人であった李仁畦が世宗の孫の成宗の諮問に答えているシーンがあります。李の報告をもとに卞と畠山持国のやり取りを復元しま…

卞孝文と畠山持国のやりとり

足利義教のお悔やみと足利義勝のお祝いに来た卞孝文とそれを迎えた管領畠山持国のやりとりをいかに再現します。『朝鮮世宗実録』二十五年十月甲午(1443年10月4日)条です。これは卞が帰国後に国王の世宗に報告している内容です。したがってあくまで…

束帯姿の足利義勝と東アジア

京都の北区に等持院があります。行ったことがないよ、という方はぜひ一度行ってみてください。夢窓疎石の作庭にかかる庭があります。足利義政の茶室があります。足利尊氏の墓があります。そして霊光殿には足利歴代将軍の木像があります。江戸時代には高山彦…

嘉吉の乱の治罰綸旨の起草案を完全に書き換える後花園天皇

後花園天皇が嘉吉の乱で赤松満祐治罰綸旨を出したことは、ごくごく一部の歴史愛好者の間では有名です。 赤松満祐はいろいろあって足利義教を暗殺したわけです。ちなみに現場は二条城の向かい側、堀川通の東側です。そこから満祐は義教の首を持って、丹波口か…

『新撰長禄寛正記』における後花園天皇

『新撰長禄寛正記』は名前の通り、長禄・寛正年間(1457〜1466)までの畠山氏の内紛などを中心に幕府の動きを記録した史料です。文明年間には成立していたと考えられていますが(群書解題)、後花園天皇を「御花苑院」と書いているところを見ると、…

後花園天皇の生涯−永享三年正月一日〜十二月三十日

永享三年の後花園天皇の動静です。 非常に安穏に、何事もなくのんびりと進んでいるように見えますが、実はこの年には畠山満家、細川持之らが足利義教に意見を進言するとか、義教が非常に頼りにしていた大内盛見が戦死するとか、飢饉で米価を釣り上げる商人が…

後花園天皇宸翰消息

後花園天皇の宸翰消息です。宸翰とは天皇の直筆のことです。後花園天皇の宸翰消息は散らし書きという特殊な書き方で書かれています。 しかし読みたい現物は宮内庁の所蔵で、国文研のサイトに載せられていますが、思いっきり「禁無断転載」とあります。こんな…

後花園天皇の生涯−永享二年十月一日〜十二月三十日

十月一日、旬、平座 師郷記、建内記 十月七日、太政官庁で御禊次第司着座、この夜内宮上棟日時定 師郷記 十四日、御禊点地、この日貢馬御覧 看聞日記、師郷記、 十九日、御禊幄分、御井点地、この夜祈晴奉幣行われ、また女騎馬御覧 師郷記 二十日、太政官西…

後花園天皇の生涯−永享二年七月一日〜九月三十日

七月七日、乞巧奠 師郷記 二十五日、足利義教右大将拝賀、清涼殿に出御しこれを受ける 看聞日記、建内記、師郷記 ちなみにこの時の大名一騎打ちに一色義貫ではなく畠山持国を選んだことに義貫が怒って参列を拒否したために大騒ぎになって、厳罰を主張する義…

後花園天皇の生涯−永享二年正月一日〜六月三十日

正月一日、四方拝停止、御座を設定、幼少ゆえ。小朝拝、元日節会、万機旬以前のため出御なし 師郷記、管見記、続史愚抄 五日、叙位を延引 管見記、師郷記、満済准后日記、続史愚抄 六日、摂政二条持基の直盧で叙位追行 管見記、師郷記、薩戒記目録、続史愚抄…

後花園天皇の生涯−永享元年九月五日〜十二月三十一日

九月五日、代始改元、正長二年を永享元年に 師郷記、元非別抄、続史愚抄 ちなみに出された候補は以下の通り(カッコ内は出典)。 建定(史記)、嘉観(史記)、永同(後漢書)、久和(周礼)、元喜(周易)、永寧(漢書志)、文安(尚書)、天和(荘子)、仁…

後花園天皇の生涯−正長二年四月〜九月四日

四月一日、平座 師郷記 八日、平野祭 師郷記 九日、梅宮祭 師郷記 二十日、日吉祭 師郷記 二十一日、賀茂祭 師郷記、満済准后日記、薩戒記目録、続史愚抄 二十四日、吉田祭 師郷記 二十六日、石清水八幡宮一社奉幣 薩戒記目録、師郷記 六月三日、止雨奉幣 薩…

後花園天皇の生涯−正長二年正月〜三月

正月一日、四方拝御座を設けたが出御なし、幼冲による。この日小朝拝に出御、夜に元日節会、ただし万機旬(ばんきのしゅん、新天皇が即位御初めて行う旬政。旬政は紫宸殿で政事を視て宴を賜る儀式)以前のため出御なし。 薩戒記 五日、摂政二条持基の直盧(…

後花園天皇の生涯−正長元年九月〜十二月

九月九日、重陽の節句、平座(天皇の出座のない形式の儀式) 薩戒記、薩戒記目録、続史愚抄 十五日、石清水八幡宮放生会追行 管見記、薩戒記目録 十月一日、平座 薩戒記目録、続史愚抄 十七日、造太政官庁日時定 建内記、薩戒記目録、続史愚抄 二十三日太政…