2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
永禄四年正月一日、四方拝を行う、小朝拝、元日節会は停止御湯殿上日記、公卿補任、続史愚抄四日、千秋万歳、五日同じ御湯殿上日記(四日・五日)五日、叙位を停止続史愚抄七日、白馬節会停止続史愚抄八日、太元帥法聴聞、後七日御修法は停止御湯殿上日記(…
寝業師という言葉があります。私は故根本陸夫氏を思いつきます。裏工作が得意な人ということですが、根本氏も緻密な情報網を駆使して大胆なトレードを仕掛けたり、有力なアマチュアを裏技的な手法で入団させたりして西武やダイエー・ソフトバンクを強豪球団…
藤原頼長。この人ほど個性的な人物はいるだろうか、というほどの人物です。この人の個性の前には全て霞んでしまうほどの個性です。 藤原頼長 『天子摂関御影』 彼は藤原忠実の次男で兄の忠通よりも24歳年少でした。彼については故棚橋光男氏の『後白河法皇…
Qさま!で6月24日に放映された「本当に強い戦国武将ベスト15」がいろいろ言われているようで、そもそも「強い」ってどういう意味なのか、とかまあ悩むわけですが、普通に考えれば結果で見ても織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に集中するだろうな、というこ…
保元の乱の主役は鳥羽・崇徳・後白河・藤原忠実・忠通・頼長であることは論を俟ちませんが、もう一つは伊勢平氏の平清盛と河内源氏の源義朝でしょう。特に義朝はこの戦いでその地位を飛躍的に向上させ、清盛に次ぐ軍事貴族の地位を手に入れます。 伊勢平氏は…
『朽木家古文書』62です。 とりあえず写真を。 室町将軍家御教書 朽木家古文書 国立公文書館 釈文 若州發向事不日可被 致忠節之由所被仰下也 仍執達如件 嘉吉元年十一月三日 右京大夫(花押) 佐々木朽木満若殿 一行目の一番下の「被」と二行目下から四字…
時はいいころ(1156)保元の乱 武者の世のはじまりと言われる保元の乱ですが、『保元物語』に基づく保元の乱のイメージが強く存在しています。それに対して『愚管抄』を通じてみると少し異なるイメージが出てきます。 『愚管抄』は藤原忠通の息子の慈円…
永禄三年(1530年)の正親町天皇の動向です。 この年は桶狭間の戦いがあり、また長尾景虎が上杉政憲を奉じて関東に出陣し、近衛前久が長尾景虎を頼って越後に下向するということがありました。 永禄三年正月一日、四方拝御湯殿上日記言継卿記二日、読書…
保元の乱は小学校でも習う有名な戦乱です。だいたい平治の乱とワンセットで習います。「時はいいころ(1156)保元の乱」という語呂合わせを覚えさせられた方も多いかと思います。 保元の乱に関しては「貴族の争いに武士が動員され、武士の世の中になって…
ラボール学園(京都勤労者学園)で「古文書のお勉強始めませんか」という講座を開催することになり、私が担当させていただくことになりました。 これは9月2日(月)午後1時30分から午後3時30分に開催される「1回講座 和の文化体験教室 古文書のお勉…
今日のオンライン日本史講座のまとめです。 源義親は源義家の嫡子です。対馬守だった時に九州を横行し、略奪を働いています。時に1101年のことです。大宰大弐大江匡房からの訴えで義親は隠岐国に流罪となりますが、出雲国に渡り、そこで反乱を続けたため…
軍事貴族としてもっとも有名なのが清和源氏であることは論を俟たないでしょう。その中でも我々が「源氏」といった場合、念頭に置いているのが河内源氏です。 ticket.asanojinnya.com 清和天皇の孫の経基王が源の姓を賜って臣籍降下し、武蔵守として赴任し、…
婆娑羅大名と呼ばれた佐々木京極導誉の書状です。 京極導誉は道誉の方が有名です。「京極導誉」でグーグル先生に聞くと「もしかして京極道誉?」と聞かれます。 自署では「導誉」なので「導誉」が正しいのですが、「入道々誉」と書かれるので「道誉」が有名…
奥州藤原氏とはどういう人々だったのでしょうか。 奥州藤原氏は一体全体どういう家なのか、というのは私も北方史に足を踏み入れるまではよく理解できていませんでした。ややこしい。 そもそも清原清衡が藤原清衡に名前を変える意味が分からなかった。あのへ…
『看聞日記』応永26年6月17日条を見てみます。 十七日。雨降。(中略)抑二条局産所ニ出〈庭田〉。則平産〈寅刻〉若宮云々。尤珍重也。面々賀申。三位則御盃持参。 これは『後花園天皇実録』には次のように「按」があります。 御降誕ノ日次、看聞御記ニ…
永禄二年正月一日、四方拝、小朝拝、元日節会御湯殿上日記、言継卿記、康雄記、公卿補任四日、千秋万歳、五日も御湯殿上日記(四日・五日)七日、白馬節会御湯殿上日記、言継卿記、公卿補任八日、太元帥法、聴聞あり、後七日御修法御湯殿上日記、厳助往年記…
源義家といえば前九年の役、後三年の役で活躍した名将の中の名将というイメージです。 しかし後三年の役の彼の動きを見ていると父の源頼義に比べると拙劣というか、下手くそというイメージがあって、河内源氏が急速に没落していく大きな原因ではないか、と思…
昨日のオンライン日本史講座のご報告です。 予定では前九年の役と後三年の役の詳しい話をするはずだったのですが、その前提である「武士の誕生」と「北アジアの変動の中のエミシ社会」に時間を取られて源頼義の人生までいけませんでした。なので次回は源頼義…
嘉吉の乱で足利義教が弑殺され、細川持之が幕政を掌握することになりましたが、持之の優柔不断、無能ぶりが強調され、綸旨を出して嘉吉の乱を終わらせた後花園天皇の引き立て役になっている、というイメージがあります。 sengokukomonjo.hatenablog.com しか…
オンライン日本史講座のお知らせです。 ticket.asanojinnya.com 源頼義と源義家といえば、義家は「八幡太郎義家」として英雄、頼義はその親父という感じでなんとなく脇役感が強いです。子どもの頃、『八幡太郎義家』という名前の伝記を古本で入手したことが…
追記:「和州」を和泉国としていましたが、大和国です。 古文書入門です。「室町将軍家御教書」『朽木家古文書』47号文書です。 「室町将軍家御教書」とありますが、「御判御教書」と名前は似ていますが中身は全く異なります。 もともと「御教書」というの…
こんな記事を見つけました。 www.ndl.go.jp ここのペリカンの説明によると永享2年に京都伏見の舟津で捕らえられたのが日本における最古の記録、ということで、後花園天皇と貞成親王に関することには食いつく拙ブログとしてはこれは触れないわけにはいきませ…
武士団の形成です。 6月13日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座の予告編2です。 ticket.asanojinnya.com 太秦の映画村に行った時、目の前を小学生が「武士って何〜?」と叫びながら走って行きました。私は思わず「まあ座れ。今から一時間半武…
十一月十日、因幡堂薬師の開帳を聴許御湯殿上日記二十二日、後奈良天皇を泉涌寺に葬る御湯殿上日記、康雄記二十五日、後奈良天皇の収骨、仙骨を深草法華堂及び伏見般舟三昧院に納める続史愚抄十二月十二日、倚盧御所に渡御、遺詔詔、御誦経使定などあり、こ…
6月13日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座のお知らせです。 ticket.asanojinnya.com 前九年の役・後三年の役です。 前九年の役を取り上げる場合、二つの視点があります。一つはエミシ社会のその後です。北緯40度ラインで一旦おさまった情勢…
昨日のオンライン日本史講座のご報告です。 www.youtube.com ここでは予告編から脱線した話をまとめています。 エミシとの戦いは基本的に遷都事業とセットになって行われています。平城京遷都の時に征夷事業が開始され、平安京遷都も征夷事業とは切り離せま…
2022年1月20日に少し追記。 久しぶりの「後花園天皇をめぐる人々」です。 今日取り上げるのは「決められない政治」の象徴と某公共放送でレッテルを貼られてしまった細川持之です。これは某公共放送だけでなく、多くの先学がそう行っているので、通説…
追記:関根達人先生のご指摘に従い、38度線と40度線に訂正いたします。 6月6日(木)午後8時30分からのオンライン日本史講座「坂上田村麻呂とアテルイ」の予告です。 ticket.asanojinnya.com 774年、エミシによる上京朝貢の中止と、海道エミシによ…
月曜日恒例の古文書入門です。 今日は「足利義稙御内書」(『朽木家古文書』37号文書)です。 御内書は将軍家の私的な用事のための書状が発展したもので、義教期あたりからいろいろな命令を伝えるものとなっており、例えば足利成氏を討て、という命令を伝…
8月31日(土)から12月21日(土)まで、全5回にわたって丹波の中近世についての連続講演会「講座「丹波学」戦略のクロスポイント「丹波」」が丹波の森公苑で行われます。 私も10月5日(土)に登壇します。 そのほかのテーマと講師は以下の通りです…