室町将軍家御教書(『朽木家古文書』47 国立公文書館)
古文書入門です。「室町将軍家御教書」『朽木家古文書』47号文書です。
「室町将軍家御教書」とありますが、「御判御教書」と名前は似ていますが中身は全く異なります。
もともと「御教書」というのは奉書形式の文書の中で偉い人が出す文書のことです。それに対して「御判御教書」は直状形式です。
詳しくは以下のエントリをご覧ください。
ではとりあえず現物を見てみましょう。
まずは釈文から。
近江國高嶋郡朽木庄并不知行
所々文書事、先年於和州之陣
私宅炎上之時、令紛失之旨、佐々木
近江守證状炳焉之上者、不可有
相違之由、所被仰下也。仍執達如件、
享徳二年十二月廿七日 右京大夫(花押)
佐々木朽木信濃守殿
差出人が「右京大夫」となっています。右京大夫(うきょうのだいぶ)とは管領の細川勝元のことで、この文書は足利義政の意を管領の細川勝元が奉じて発給する文書で、命令する人と書く人が異なる「奉書」という形式です。
読み下しです。
近江國高嶋郡朽木庄并びに不知行所々の文書の事、先年和州の陣において私宅炎上の時、紛失せしむの旨、佐々木近江守の證状炳焉(へいえん)の上は、相違あるべからずの由、仰せ下さるるところなり。仍って執達件の如し、
和州、つまり和泉国大和国に出陣中に私宅が焼け、証拠書類が紛失したので、新たに安堵を受けた、という内容です。佐々木久頼の文書にはっきり書いてある(炳焉)ので問題ない、ということです。