足利義教容疑者を殺人の容疑でうわなにをするくぁwせdrftgyふじこlp
備忘録です。
『公名公記』(西園寺公名の日記)永享十年(一四三八)七月二十二日条に次のような記述がありました。
武家去十三日、以金杖被殺害座右痴女云々。未曾有事也。
ちなみに伏見宮貞成の仕女で、義理の母(父栄仁親王の側室)の東御方は「金打」(太刀をカチャカチャ言わせる事)で追放したことを、杖で殴りつけた、と解釈する過ちがあります。拙著『乱世の天皇』ではその過ちを指摘した初めての著書ではないか、と自負しておりますが、誰も何も反応をくれません。
ただその過ちは『公名公記』にのみ書かれているもので、『看聞日記』同月14日条には「燈爐今日自公方賜之処、無其儀。不審也。聞。昨日就女中事、有御機嫌悪事云々」とあります。おそらく同じ事件について述べているのでしょう。
ただ貞成のあまりののんびりした対応に少しびっくりします。
そこで私は「金杖」と「金打」はおなじ「きんちょう」と呼んで同じことをしているのではないか、と思います。義教は機嫌が悪くなると「金打」、つまり太刀をカチャカチャ」言わせる癖があった、と言えるかもしれません。