天皇の命令を伝える文書である綸旨(りんじ)を読んでいきます。
京都府立京都学・歴彩館所蔵『東寺百合文書』ホ14ー1文書です。
色の違う部分です。綸旨の最大の特徴はこの色です。詳しくはここをご覧ください。
28. 薄墨(うすずみ)の綸旨(りんじ)|東寺百合文書WEB
ざっくりいうと、綸旨は再生紙を使っています。「宿紙」(しゅくし)と言います。詳しくはリンク先を読んでください。
綸旨は奉書形式の文書ですが、天皇の意を伝えるものである点で、宿紙以外にも様々な特徴があります。書止文言が特徴的で、「天気所候也」(てんきそうろうところなり)とか、「天気如此。悉之。以状」(てんきかくのごとし。これをことごとくせよ。もってじょうす)というような重々しい文言が使われます。
この文書はありがたいことに『鎌倉遺文』に収録されています。31480号文書です。
最勝光院領肥前国
松浦庄地頭等寺用抑留
事潤恵僧都状〈副具書〉
如此可尋沙汰之由可被
仰遣武家給之旨
天気所候也仍言上如件
宣明誠恐頓首謹言
元徳三
七月廿七日 左少弁宣明
春宮大夫殿
文字を見ていきます。
一行目の「最」は「宀」に「取」と書いてありますが、「最」の異体字です。
二行目の「松浦庄地頭」の「頭」ですが、これも異体字で「フ」に「人」です。「ホ」みたいなのはもちろん「等」の異体字です。最後の「抑留」の「留」も「ツ」に「田」という異体字です。
三行目の一番最後の「副具書」は少し小さく書いてあります。「割注」(わりちゅう)と言います。潤恵僧都の状に詳細を記した書状もつけてある、ということです。実際この文書は三通セットになっています。綸旨に限りませんが、こういう訴訟文書は一連の文書がセットになっていることが多いです。
四行目の「尋沙汰」(たずねさた)というのが少し難しいかもしれません。事実を調査する、という意味です。最後の二字の「可」と「被」はこんなものです。
五行目は「遣」が典型的な崩しです。「給」もよく出ます。覚えるしかありません。
最後の二行はかなり崩しが大きくなります。特に「如件」や「誠恐頓首謹言」はこういうもんだ、としか言いようがありません。あと「天気」は「天皇の意思」ということなので、天皇に敬意を表すために改行しています。これを「平出」(へいしゅつ)と言います。他に敬意を表すために上の一字を開ける「闕字」や平出よりも一字上げる「一字抬頭」や二字上げる「二字抬頭」もありますが、日本では使われることは少ないです。クビライから後嵯峨院への書状はクビライを一字抬頭、後嵯峨院には平出だったので、近衛基平が返書に反対したのは知られた所です。文言が挑発的だった、というのは反対した基平自身が否定しています。あれを挑発的と解釈するのは、結果論的解釈にすぎません。万暦帝から豊臣秀吉への国書は二字抬頭で、もっと上から目線ですが、秀吉は自らを天皇及び明皇帝の臣下という形をとり、天皇と明皇帝を対等にしようとしています。
読み下しを示しておきます。
最勝光院領肥前国松浦庄地頭等寺用を抑留の事、潤恵僧都状〈具書を副う〉此の如し。尋沙汰すべきの由、武家に仰せ遣わされ給う可きの旨、
天気候所なり。よって言上件の如し。宣明誠恐頓首謹言。