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室町・戦国時代の歴史・古文書講座

歴史学研究者、古文書講師の秦野裕介がお届けする室町・戦国時代の知識です。

大モンゴルウルスに対峙した人々1 北条氏とその周辺

8月1日(木)のオンライン日本史講座でのまとめです。

 

北条氏について、皆さんはどういうイメージをお持ちでしょうか。陰険、陰謀、北条政子、暗殺。あんまりいいイメージないですね。なんとなく謀略と暗殺でのし上がり、最後は暗君の北条高時によって滅びてしまったクソみたいな一族、というイメージでしょうか。

 

北条時政源頼朝の義父という地位を利用して権謀術数でライバルを滅ぼし、初代執権に、北条義時は同じく有力御家人を滅ぼして侍所も支配下に入れ、将軍も暗殺して実権を掌握(ちなみに私はその考えを支持しません)、承久の乱後鳥羽上皇流罪に処して朝廷も圧服した独裁者、北条泰時御成敗式目北条時頼得宗専制北条高時は無能で暴虐で自業自得、というイメージでしょうか。

 

唯一評判のいいのが北条時宗でしょう。国難に敢然と立ち向かい、日本を救った救国の英雄、現代日本に必要な愛国者、ビジネスマンも見習うべきリーダーシップ。

 

実際のところはどうなのでしょうか。調べてみました。

 

北条時宗北条時頼の嫡子として生まれました。庶兄に北条時輔がいます。彼の母は極楽寺北条重時の娘で、その姉妹が安達泰盛の妻です。そして安達泰盛の妹は北条時宗の妻です。

 

安達泰盛は以前(数十年前)までは豪族的御家人最後の生き残りと言われてきました。現在ではそういう見方は基本的にされていません。北条氏の外戚として北条得宗専制の有力な構成メンバーとみられています。

 

モンゴル戦争は日本全体が日本の危機に対応して一致団結して戦ったかのように言われていますが、実際はどうだったのでしょうか。

 

よく言われるのが、この戦争を主体的に戦ったのは鎌倉幕府、それも安達泰盛とその周辺だけ、といも言われています。どういうことでしょうか。

 

鎌倉幕府御家人はすべての武士を支配下に収めたわけではありません。御家人というのは源頼朝と主従関係を結んだ武士とその子孫です。従って新規参入は基本的にはありません。御家人であることは既得権益であったのです。

 

モンゴル戦争で、主体的にモンゴルと対峙した安達泰盛は、御家人だけにしか指揮権を持ち得ない現状に危機感を募らせたことは事実でしょう。

 

安達泰盛はしばしば日本のあり方自体を変えた、とすら言われます。その頃の日本は土盛りの城だったのですが、泰盛は文永の役後に博多湾に壮大な石垣の要塞を築き上げ、博多湾全体を基地化して玄界灘制海権を制圧しました。

 

また九州の非御家人御家人編入しようとしました。それで御家人層の反発を買って粛清された、という見方も存在します。

 

次に得宗についてみてみます。

 

得宗」という言葉自体は北条義時法名から付けられています。義時の子孫で北条家の家督者を指します。具体的には泰時・経時・時頼・時宗・貞時・高時となります。特に経時の早逝後、後継者となった経時の弟の時頼が病気で死にかけて執権辞任、出家以後、奇跡的に快復してのちは執権ではなく北条氏家督として幕政を仕切ります。

 

時頼は死にかけた時に、重時の嫡男の長時を執権にし、時宗成人までの中継ぎとします。ここに執権の地位をめぐる得宗とそれ以外の北条家のランクがはっきりと分かれます。これ以降、得宗にとっては執権は最初の幕府の役職、それ以外の北条氏にとっては最後のキャリアとなります。

 

時宗が成人する前に長時は死去し、ワンポイントとして長老の北条政村が執権に就任します。クビライからの使者がやってきたのは政村執権の時代です。これを受けてか、時宗成人のタイミングか、時宗が執権となりますが、幕府にとって重要な時期であったため、政村が連署に回り、時宗のサポートに回ります。執権辞任後、別の役職に回ったのは政村が最初で最後、得宗以外の人物で執権辞任後も幕政に関わったのも政村が最初で最後です。

 

時宗のもとでは内紛があらわになってきます。平頼綱安達泰盛の不仲が浮上し、時宗はその対応にかなりの心身をすりへらしたのではないか、と言われています。

 

時宗の時代には宗尊親王を追放という事件が起こっていますが、宗尊親王が追放されたのは時宗と対立したからではなく、密通に関する後嵯峨上皇の諷諫に従わず、後嵯峨の逆鱗に触れたからだという河内祥輔氏の見解に私も従いたいと思います。

 


天皇と中世の武家 (天皇の歴史)

 

 いかがでしたか?

 

北条氏について少し調べてみました。安達泰盛という人がなんかポイントっぽい気がしますね。さらに調べていろいろ書いてみたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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